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菅原道真公
神様の概要
【別名、別記法】天満大自在天神、火雷天神、菅公、天神
【祀られている主な神社】
福岡県太宰府市 太宰府天満宮
東京都文京区 湯島天満宮
【神使】 牛
神様メモ
天神さま。お稲荷様と並んで最も親しみを覚える神様ではないでしょうか。
受験や学問の神様として有名ですし、天神さまである菅原道真公ご自身が和歌、漢詩、更には彫刻も残した秀才として名高い人物でした。
しかしその出世などを妬んだ他の貴族たちによって右大臣から九州太宰府の大宰員外帥、つまり正規の定員を越えて任命する官職という閑職に左遷されてしまいます。
左遷といえば、単にポジションが下がるだけのように見えますが、実際には太宰府へ向かう道中では馬も食事も給付されず、赴任先では俸給や従者も与えられないどころか、政務にあたることも禁じられるという事実上の流刑とも言える状況だったと思われます。
そして、失意のうちに59歳で薨去。その後、朝議中の清涼殿が落雷を受け、大納言藤原清貫をはじめ多くの死傷者が出した清涼殿落雷事件が起きます。更には落雷を目撃した醍醐天皇も体調を崩した上に、3ヶ月後に崩御してしまいます。
これらのことは道真の怨霊によるものと考えられ、大自在天や大威徳明王などと関連づけられます。そして天満宮などに使われる「天満」は、道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちたとして、死後に贈られた神号「天満(そらみつ)大自在天神」に由来してしていると言います。
このように、怨霊信仰に始まった天神さまですが、時代が下ると共に菅原道真公自身の事績に基づいて学問や芸事などの神様として、言わば荒御魂から和御魂へと姿を変えています。
今、天神社の多くでは、撫牛として神使の牛像と梅の木が植えられています。
牛には様々の説や逸話がありますが、生年が承和12(846)年で乙丑の年であり、また薨去されたのも延喜3(903)年2月25日の丑の日だからに由来するとも言われます。また道真が賊に襲われたとき牛が身を挺して公を守った逸話や、死後、その御遺骸を載せた車を引く牛が座り込んで動かなくなり、その場所をご墓所と定めたことと言ったことも伝えられており、これらの事から神使として牛がシンボル化し、そして臥牛、つまり座った姿、あるいは伏せた姿をしています。
また、神紋にもなっている梅です。今、和歌や俳句で「花」と言えば桜でしたが、古くは梅を指していました。そして道真公も梅を題とした歌を多く詠んでいると言いますが、特に有名なのが
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
という左遷に際して、私邸の梅に思いを寄せて詠んだものが有名です。
そして、詠まれた側の梅は一晩のうちに都から太宰府へと飛んできたという飛梅の逸話も有名です。また、梅ケ枝餅として太宰府銘菓に纏わる話も、罪人のように貧しい暮らしをしていた道真公を見かねた老婆が梅の枝に栗餅をつけて食べさせたことに由来するとも言われ、これらが合わさって天神様のシンボルとなったのではないかと思います。
天賦の才を持ちながら、それが妬み嫉みの素となり、結果として今では若い人たちの信仰を集める素へと変貌しているのですね。
ご神徳
| 金運 | 商売 繁盛 | 必勝 出世 | 交通 安全 | 航海 安全 |
| 旅行 安全 | 殖産 興業 | 工業 | 農業 | 良縁 祈願 |
| 漁業 | 厄除け | 安産 祈願 | 子孫 繁栄 | 子育て 守護 |
| 夫婦 和合 | 家運 隆盛 | 縁切り | 国家 鎮護 | 健康 |
| 長寿 | 学問 成就 | 開運 招福 | 武運 長久 | 火難 消除 |
| 芸能 芸術 | 試験 合格 | 方位 除け | 織物 | 諸願 成就 |
