妙見菩薩

梵名

スドリシュティ

別名

妙見尊星王、北辰菩薩、妙見天

真言

・妙見帰命心真言
 オン ソチリシュタ ソワカ
 オン ソヂリシュタ ソワカ
・妙見心中心呪
 オン マカシリエイ シベイ ソワカ
 オン マカシリエイ ヂリベイ ソワカ
・妙見真言(『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』)
 ボチテイ トソタ アジャミタ ウトタ クキタ ハラチタ ヤビジャタ ウトタ クラチタ キマタ ソワカ
 ロクチテイ トソタ アジャミタ ウトタ クキタ ハラテイタ ヤビジャタ ウトタ クラテイタ キマタ ソワカ

概要

 妙見菩薩。菩薩となっていますが、観世音菩薩地蔵菩薩がインド由来なのとは違い、中国の星宿思想から北極星を神格化したものとされています。そのため、菩薩となっているものの大黒天や毘沙門天と同様、天部にとして分類されるのが一般的です。

由緒

 北辰とも呼ばれる北極星は、中国の道教において天帝として扱われました。この道教をベースに仏教思想が習合し優れた視力で善悪を見通す意味を持つ「妙見」と「菩薩」が組み合わされて「妙見菩薩」とされるようになったようです。歴史で見てみると中国の南北朝時代には既に妙現菩薩を信仰の対象としたと見られますが、その時代の仏像は現存、確認されておらず、経典としては西暦317~420年に書かれた晋代失訳『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』が最古となっています。
 遣唐使で天台宗の第三代座主の円仁が記した旅行記『入唐求法巡礼行記』からは、唐代の中国で妙見信仰が盛んであったことが窺え、妙見関連の経典や行法が流布していたようです。
 妙見信仰が日本へ伝わったのは、これより以前の7世紀(飛鳥時代)で、高句麗・百済からの渡来人によって伝えられたと言われます。この当時、渡来人は関西以西に多く、信仰も西日本を中心に広まりました。しかし、朝廷の政策によって渡来人が東国に移住させられると、そのまま妙見信仰も東日本へと拡散されていきます。
 北辰(北極星)と関係の深い北斗七星の内にある破軍星(はぐんせい)にまつわる形で妙見菩薩への信仰は軍神の様相を帯びていきます。また破軍星が密教経典『仏説北斗七星延命経』(唐代)で薬師如来と同視されていることから、妙見菩薩は薬師如来の化身とみなされることもあります。本地仏としては他に十一面観音や釈迦如来が当てられる場合もあります。
 この軍神としての信仰から、中世、関東の豪族 千葉氏や東北の九戸氏が妙見菩薩を守護神としています。特に千葉氏は更に平将門伝承が取り入れられて、妙見菩薩を氏神としています。この事からかつての千葉氏の所領地には多くの妙見信仰を示す寺社が遺されています。そして千葉氏の氏神とされる現在の千葉神社(千葉妙見宮)は源頼朝や日蓮からも重要視されています。一方、千葉氏も日蓮宗中山門流の檀越であることから日蓮宗寺院に妙見菩薩が祀られていることが多いようです。
 他の豪族、大名としてはキリシタン大名として知られる高山右近が知られており、またキリシタンの多い土地に日蓮宗の僧侶が送り込まれたことから、隠れキリシタンが日蓮宗系の妙見菩薩像(能勢妙見とも言われる)をデウスに見立てていました。
 庶民にとっての妙現菩薩は水神や鉱物神・馬の神ともされています。江戸時代に入ると平田篤胤が復古神道に基づいて『古事記』や『日本書紀』に登場する天之御中主神が天地万物を司る最高位の神、北斗七星の神と位置づけ、更にこの影響から明治維新を迎えると、菩薩号が使えなくなった妙見信仰の神社(妙見神社)が祭神を天之御中主神を主祭神としています。
 このように天体の他、仏教では薬師如来に十一面観音、釈迦如来に比定され、神道でも天之御中主神へ、そしてキリスト教におけるデウスなど、様々な信仰対象に変化してきたことも妙見菩薩の特徴なのかもしれません。

お姿

 道教、密教、陰陽道などの要素が混交した妙見信仰の成立過程から像容には様々な変化があり、一定したものはありません。バリエーションには玄武に跨り甲冑を着けた武将や唐服を着て笏を持った陰陽道系の姿が存在しています。
 よみうりランド内聖地公園に保管(所有は読売新聞社)されている妙現菩薩像が、正安3(1301)年の銘があり、もともとは伊勢神宮外宮の妙見堂に安置されていたと言います。しかし、この像は甲冑を着けた上、右手には剣、頭髪は美豆良に結うという特殊な像容となっていることから、妙見菩薩と呼ぶべきかという点で疑問視されています。

守本尊

なし

ご本尊としているお寺の例

群馬県高崎市 妙見寺
東京都台東区 長国寺

ご利益など

開運除厄、九星除厄、除災得幸、眼病平癒、海上安全、長寿、開運、諸願成就、天災除去、国土安穏