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妙見本宮 千葉神社

御由緒

江戸時代には「北斗山 金剛授寺 尊光院」と言う真言宗のお寺だった千葉神社。
平安時代末期、関東南部を広く統治し、また有名な平将門と共闘したとも言われる平良文と言う武将がいました。この良文、妙見様を強く信仰し、千葉神社を建立したとも言われています。
 彼が妙見様、つまり妙弦菩薩を信じたはじめと言われるのが、染谷川で戦いでの出来事です。将門の伯父であり、良文の兄である平国香から将門は染谷川で襲撃を受けます。突然の襲撃に将門軍、そしてそれを支援した良文の軍勢は合わせて7騎にまで味方を減らす大苦戦を強いられたといいます。この絶望的な状況に自害を覚悟した良文は死に場所を探したそうです。すると良文の耳に不思議な声が聞こえてきます。声の導きに従って行くと、妙見寺に到着したそうなのです。この妙見寺、北斗七星の化身である妙見菩薩を祀っており、寺僧は良文が妙見菩薩に選ばれし者だというのです。そして、寺僧は七星剣を良文に渡したそうです。更には良文の体には月と星の印が浮き出ていたというのです。こんな事が本当に起きれば、どんなに不信心な人物でも、妙見菩薩を信じると言うものです。
 そして、この妙見寺から後の千葉神社となる寺へと妙弦菩薩が勧請されているのです(秩父神社も同様です)。それ以後、良文はいわば常勝将軍となったのです。そして良文の子孫である千葉氏は、妙弦菩薩、妙見様を守護として、代々大切にしていたといいます。
 ただ、この話には一種のオチのようなところがあり、将門と共に戦った良文は後に朝廷から鎮守府将軍として東北地方の鎮護の任を与えられます。一方、将門は朝敵として討ち取られてしまうのですね。この違いは、将門が勝利の中で神仏に遠慮をなくし、帝位への虞れを失ったことで妙見様が将門から離れたと言うのですね。
 
 千葉市では、千葉神社を中核とした門前町構想を持っていると言います。パワースポットとしても有名な神社ですから、実現すれば街の発展に間違いなく寄与してくれるでしょうね。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

神社概要

【御祭神】北辰妙見尊星王(天之御中主大神)、相殿:経津主命、日本武尊命

【社殿】

【鎮座地】 千葉県千葉市中央院内1-16-1

【アクセス】市内循環バス(Cバス) 千葉神社前から徒歩1分
      JR 千葉駅から徒歩18分

【創建】長保2年(1000)

【社格】 旧県社

【境内社】千葉天神社、香取神宮、姥神社、星神社、石神社、稲荷神社、金刀比羅宮、西之宮、八幡神社、天神社、日枝神社、三峯神社、神明社、御嶽神社、厳島神社、美寿之宮、分霊社・尊星殿

【例祭】8月16日から1週間

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 千葉神社と千葉天神の2種を拝受可

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

厄除開運、八方除、

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 初参拝となったのが12月の「納め妙見」の日。それとは知らずの参拝だったので、分霊社と呼ばれる神門から見えた境内で護摩木のような木片を多くの人が積み上げている様子がとても不思議に思えた第一印象でした。
 そして、正面に見える2層の社殿。これは予め聞いていたので何となくは想像していましたが、それでも威容は凄いものです。ただ、思ったよりは小さいかな?とも。
 本殿に向かってお参りをし、社殿脇の授与所で御朱印をお願いしてから、境内巡りに移ったのです。が、これが何というか楽しいのです。
 拝殿2階からの境内の景色、天神社の社殿、境内社に分霊社、日天楼と月天楼、願掛けの月詣願掛符、健康願掛符に亀石。一つ一つをきっちり見ていると、知らぬ間に時間が経ってしまいました。最初に思った「小さいかな?」なんて、気のせいでしたね。