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正中山 法華経寺
日蓮宗大本山
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御由緒
鎌倉時代の文応元年(1260年)に日蓮聖人が最初に開かれた五勝具足、つまり「授法の発初」「精舎の最初」「寺号の発軫(発心)」「本尊仏像造立の最初」「説法権与の最初」の5つの優れた縁起を供えた霊場とされています。
日蓮の生涯は良く知られているように、当時、過激と捉えられた布教活動を行っていく中で何度も迫害、法難を受けていました。その中で、下総若宮の領主で千葉氏に仕えていた富木常忍、また中山の領主であった太田乗明が管轄していた八幡荘に匿ったのです。特に富木常忍は、日蓮のために若宮の自邸に法華堂を造営して安息の場を提供そ、文吏の才を活かし、紙筆を提供して日蓮の執筆活動を助けたのです。現在も文化財として多くの日蓮の遺文が遺されているのですが、その理由は当時の日蓮の活動の場となっていることに所以があります。
そしれ日蓮は自ら立像釈迦牟尼佛を安置し、法華堂開堂供養会を営み、百日百座の説法を行ったと言います。そして文永元年(1264年)11月11日、日蓮は房州小松原で法難に遭い、眉間に疵を負っってしまいます。すると鬼子母神が現われ、傷を負っただけで一命をとりとめる事ができたそうです。そこで中山に避難した日蓮は鬼子母神の霊験に感じ入り、その尊像を自ら彫り、開眼法要を行ったそうです。以来、「中山の鬼子母神」は法華経行者擁護の守護神とされるようになり、これが広まる事で天下泰平、万民快楽、所願成就、子育ての神様として広く篤く信仰を集めるようになりました。
弘安5(1282)年に日蓮大聖人の入滅後、富木常忍は出家し、日常と改名した上、その館を「法華寺」として住持となり、日蓮の真蹟遺文を恪護することとなります。
その後、若宮法華寺と中山本妙寺を合わせて、現在の正中山法華経寺となっています。
見どころなど
・荒行堂:毎年11月1日〜翌年2月10日(百日間)、日蓮宗大荒行堂が開設され、全国から約100名の秘法を身に着けたいと希望する僧侶が荒行に挑みます。そしてこの修行を満了した僧侶だけが、日蓮宗の御祈祷を行うことができるそうです。
・総門:通称「黒門」と呼ばれています。
・仁王門:通称「赤門」と呼ばれ、大正時代に建造されたものです。
・祖師堂:国指定の重要文化財です。
・鬼子母神堂:本院の奥にあり、霊験あらたかな鬼子母神が安置されています。
・五重塔:国指定の重要文化財です。
・銅造釈迦如来坐像:別名「中山大仏」と呼ばれる大きなお釈迦様です。
・法華堂:国指定の重要文化財です。
・四足門:国指定の重要文化財です。
・太田稲荷社
・八大龍王堂:龍神池の畔にあり、八大龍王が祀られています。
私見ですが
お気に入り度
★★★★
雰囲気
★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★
寺院概要
【山号/院号】 正中山/-
【宗派、御本尊】日蓮宗/十界曼荼羅
【所在地】 千葉県市川市中山2-10-1
【アクセス】 JR総武本線 下総中山駅から徒歩10分
京成線 京成中山駅から徒歩5分
【開山】 文応元年(1260年)
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】
【HP】 日蓮宗 紹介ページ
【SNS】 なし
文化財
国宝
・観心本尊抄 日蓮筆
・立正安国論 日蓮筆
国指定 重要文化財
五重塔
・祖師堂 これまで三層錣屋根入母屋形式とされていたが、現在は建立時の様式とされる杮葺きの
比翼入母屋形式へ戻されている
・法華堂 室町時代後期の建立で、現存する中では日蓮宗の最古級とされる
・四足門
・絹本着色十六羅漢像 趙璚(王偏に「矞」)筆。八曲一双だが、そのうち4枚後補されている
・日蓮筆遺文 56巻、4冊、1帖、3幅
市指定 文化財
・黒門
・本阿弥家分骨墓
・光悦筆 扁額 3面
・本阿弥光悦分骨墓