目次

尾曳稲荷神社

館林城鎮護

神社概要

【御祭神】 倉稲魂命誉田別命素盞鳴命、倭建命

【社殿】

【鎮座地】 群馬県館林市尾曳町10-1

【アクセス】東武線 館林駅から徒歩25分
       ※バス(つつじ観光バス)あり
      東北自動車道 館林I.Cから3.9km

【創建】天文元年(1532)

【社格】

【境内社】

【例祭】

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 書き置きにて対応

【ご朱印帳】 なし

【HP】 なし

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

家内安全、交通安全、必勝祈願、商売繁盛、縁結び、合格祈願


ひと足伸ばして

狸が茂林寺なら、こちら尾曳稲荷神社は狐です。稲荷神社だったら当たり前だろ!と言われそうですが、想像を一歩も二歩も上回る強力な狐の伝説があるのです。
【伝説1】きつね、城の設計図を書く
豪族、赤井照光は享禄元年(1528)、子供に捕まえられた子狐を助けました。すると、その晩、一人の老人が現れ、子どもたちを救ってくれた礼を述べた上、照光が住む大袋よりも館林のほうが居城にふさわしいと話して姿を消します。翌晩には年老いた狐が姿を表し、尾を曳いて城の配置を示したのです!

【伝説2】きつね、城を守る!
さて城の設計図を描いた狐、去り際に「城が完成したら、私は城の守護神に使えますね。ちなみに稲荷神の神使で新左衛門と言います」と言い残しています。
照光、この言葉と設計図の通りに城を作り稲荷神社を作りました。そして狐の振る舞いから「尾曳」を城・神社の双方に冠しています。だから「尾曳稲荷神社」なんですね。で、尾曳城はといえば、永禄5年(1562)に上杉謙信からの攻撃に耐え勝利。そして天正18年(1590)、有名な豊臣秀吉の小田原攻めに伴っての攻撃では石田三成が奇策を用います。城の周囲は沼地、そのため木道を作って攻撃の準備を整えるのですが…一夜経ってみると、狐の毛を残しつつ、木道が消えちゃうんです。攻撃、できません!
とは言え、映画・小説「のぼうの城」でも描かれたとおり、当時の石田軍、豊臣軍の勢力は絶大です。小さな館林城では持ちこたえることができませんでした。
が、それでも尾曳稲荷神社のご加護で、善戦をした!のです

とは言え、伝説です。研究や史実で様々、覆る部分がありますが、ちょっとしたロマンとして覚えておきたい話です。
また、尾曳稲荷神社が城の鎮守として建立されたことはおそらく間違いありません。忍城でも諏訪神社が建てられたように、城内に神社が置かれることは不思議ではありませんし、尾曳稲荷神社は城の鬼門に位置しています。この配置、日光の東照宮と江戸の関係でも見られる「鎮護」の考え方ですよね。
そして、この配置からでしょうか、尾曳稲荷神社の社殿、西向きに建てられているんです。尾曳城・館林城にとって、この神社が重要な「防御装置」として建立されたのは事実でしょう。


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