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手長神社
御由緒
近くに手長丘遺跡や茶臼山古墳群があり、古代から人の生活が行われた場所にある手長神社。「手長宮」や「手長大明神」とも称され、「てながさま」として親しまれてきました。
大和を除く上諏訪と四賀及ぴ茅野市の一部あたりを旧来、桑原郷としていました。その総鎮守として崇敬され、足摩乳命とともに祀られきましたが、鎌倉時代、桑原郷が上桑原と下桑原に分割され、下桑原には手摩乳命を祀る当社、上桑原には足摩乳命を祀る神社(足長神社)と神社も分けられ、それぞれの鎮守とされるようになりました。
天正19年(1591)、高島城が築かれると神社は城の艮に位置する形になり、城外総家中の鎮護神として格別の崇敬をあつめるようになります。
社殿は、天明8(1788)年、立川流初代棟梁で諏訪大社下社秋宮の幣拝殿を手掛けるなどした立川和四郎富棟の手によるもので銅板葺き入母屋造の建物です。また境内社の弥栄神社は旧本殿を移したもので、宝永6年(1709)に立川流とならぶ宮大工の大隅流 伊藤庄左衛門によって建てられたもので、この二殿は諏訪市の有形文化財に指定されています。
神社概要
【御祭神】手摩乳命
【社殿】 神明造
【鎮座地】 長野県諏訪市茶臼山9556
【アクセス】JR 上諏訪駅から徒歩約7分
【創建】不詳
【社格】 旧県社、別表神社、諏訪大社上社末社
【境内社】彌栄神社・松尾神社・稲荷社・高尾穂見神社他
【例祭】9/15
【氏子】
【ご朱印】 あり
※ 他、足長神社、八劔神社の御朱印も受領可
【ご朱印帳】 なし
【HP】 なし
【SNS】 なし
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