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行田 八幡神社

封じの宮、城主八幡、西向き八幡

御由緒

元和・宝永・弘化の年間、度重なる大火が行田町を襲います。このことで行田の八幡神社も再三、類焼してしまい、旧記重宝等を失った為、御創祀の詳細は不詳となっています。しかし、口伝では源頼義・義家が奥州討伐の途中、ここで滞陣した時に戦勝祈願で勧請されたのがはじめと言われています。そのため前九年の役の始め、永承6(1051)年から、後三年の役の終わり、寛治元年(1087)の創建と考えられます。

 かつてこの八幡神社は佐間村田中に鎮座していたことから田中八幡とも呼ばれていました。そして天文年間に、現在の地に遷座され、忍城主成田下総守長泰公は社殿の修補や城下総鎮守への指名など篤い崇敬を示していおり、「城主八幡」や社殿の向きから.「西向き八幡」とも呼ばれています。
 これ以外にも忍城の代々の城主からも篤く信仰を集め、阿部豊後守は八幡大神の御神像を奉献、更に阿部正識公からは自筆の額が献納されています。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

神社概要

【御祭神】 誉田別尊気長足姫尊、比売神、大物主神神素盞嗚尊

【社殿】 入母屋造

【鎮座地】 埼玉県川越市宮下町2-11-3

【アクセス】 JR川越駅からバス

【創建】 不詳

【社格】 別表神社

【境内社】 大国主神社、愛宕神社、恵比寿神社、瘡守稲荷社、目の神社、三峯社、水神社、なで桃、八坂社

【例祭】9月15日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 Facebook

地図

神社のお得意ご利益

  • 癌封じ、ぼけ封じ、難病封じ、虫封じ、諸病難病封じ、悪癖封じ

ひと足伸ばして