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久喜 迦葉院(かしょういん)
13年も足袋を直し、履き続けた高僧の居た禅寺
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御由緒
迦葉院(かしょういん)は年代は不詳なのですが、久喜市の西大輪が村として独立していた頃、その出来野に創立された真言宗のお寺でした。それが江戸時代になって享保20(1735)年、住職に黙山元轟が招かれます。黙山は曹洞宗の僧侶で、以来、曹洞宗の寺院として現在の場所へと移され再興されています。
この黙山、出羽国増田村(現秋田県横手市)で生まれ、現在の茨城県五霞町にある東昌寺などで住職を務めた高僧だったそうです。
黙山について
黙山は天和3(1683)年に現在の秋田県で生まれ、幼い頃には出生地にあった満福寺を遊び場にしていたそうです。そして10歳を迎えた頃、遊び場にしていた寺の仏像が神々しく見え、それ以来、僧侶になることを目指します。そして14歳になると満福寺で得度を行い、出家して受戒し念願の僧侶になるのです。
19歳になり、師である住職が亡くなると出羽国(現 秋田県)の妙音寺や下総国(茨城県)の東昌寺等で修業を重ね、4つの寺院を開いていきます。迦葉院も、その一つで黙山に関係する古文書は市指定文化財「関係資料」として保存されています。
また境内には黙山の生涯を漢文としてまとめた要約した顕彰碑も残されています。
質素倹約の僧侶
黙山は質素倹約を旨としていた人物で、物を大切に使い続けた事が知られています。今では信じられませんが、足袋を繕いながら13年間も使い続けられたと言います。この足袋は現在も寺内に保存されているそうです。
このような生活は老いてからのものではなく、東昌寺時代から既に培われていた様子で、これにも逸話が残されています。東昌寺の台所事情は決して豊かではありませんでしたが、そんな中、黙山は食事をつくる役目を担い、やりくりに苦心していたようです。しかし、周囲の僧侶からは台所番は密かに一人で良いものを筈だと疑われていたものの、実際には他の僧侶の食事には使えない野菜クズなどを使って作った食事…と言うより餌のようなひどいものだったそうです。このように質素倹約を旨とする禅僧らしさを体現する人物だからこそ真言宗から改宗し、立派な現在の迦葉禅院へと変貌させることに成功したのではないでしょうか。
私見ですが
参拝時には既に山門が閉じられていたため、遠目に観音様と本堂を拝んだだけでした。現在の伽藍は曹洞宗に改宗して以後に建立したものだと言うことになりますが、なんとなく密教寺院を思わせる佇まいで、いつもながら予備知識ゼロでの参拝者としては、寺号碑に「曹洞宗」とあって、少しびっくりしてしまいました。
徒歩でのアクセスはちょっと厳しい場所になりますが、周囲ののんびりとした風景を楽しみながら歩くにはちょうど良い距離なのかもしれません。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★
寺院概要
【山号/寺号】 鶏足山/-
【宗派、御本尊】曹洞宗/釈迦牟尼仏
【所在地】埼玉県久喜市鷲宮6-16-1
【アクセス】 東武伊勢崎線 鷲宮駅から徒歩21分
JR東北本線 東鷲宮駅から徒歩25分
【開山】 享保20年(1735) ※ 真言宗から曹洞宗へ改宗を行った年
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】
【HP】
【SNS】なし