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三芳野神社
とおりゃんせ♪のふるさと
御由緒
大同2年(807)の建立と言われ、川越城築城以前から当地にあった事になります。その神社が太田道真・道灌父子が行った川越城の築城に際して城内の天神曲輪に遷座しています。
一方、建立の経緯にはさいたま市の氷川神社あるいは京都市の北野神社からの勧請とされていますが、いずれが正しいのかは明確ではありませんが、社号の「三芳野」は在原業平が記した『伊勢物語』にある「入間の郡三芳野の里」が川越の旧地名だった事に由来しています。
現在の社殿は、寛永元(1624)年は川越藩主だった酒井忠勝が3代将軍徳川家光からの命で造営したもので、鈴木近江守長次によって再興されています。この鈴木近江守長次は譜代大工の棟梁で、池上本門寺五重塔建造などを行い、徳川秀忠に重用され大坂の役でも従軍している大物です。
この後、明暦2(1656)年に、4代将軍徳川家綱の下命で川越城主だった松平信綱により大改造が行われいます。施工には鈴木長次の流れを汲む木原義久が施工にあたっています。この際には本殿として江戸城二の丸から東照宮本殿を移築し、長次が寛永に建設した拝殿との間に幣殿を新しく設け、権現造へと変えています。
このように徳川将軍と結びつきの強かった三芳野神社は、童謡「通りゃんせ」の舞台となったと言われています。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★
神社概要
【御祭神】 素盞男尊、奇稲田姫命、配神 菅原道真、誉田別尊
【社殿】 権現造
【鎮座地】 埼玉県川越市連雀町17-1
【アクセス】 西武新宿線 本川越駅からバス
【創建】大同2年(807)
【社格】 旧県社
【境内社】
【例祭】4月25日
【氏子】
【ご朱印】 あり
※ 川越氷川神社にて
【ご朱印帳】 なし
【HP】 なし
【SNS】 なし