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中山神社

御由緒

 しばしば”レイライン”とも言われる武蔵一宮氷川神社、そして氷川女体神社とを結ぶ直線上に鎮座する見沼区中川の鎮守、中山神社。この2社とは昔から深い関係性が語られ「中氷川神社」と呼ばれていました。一節には、この三社で一体の氷川神社を形成していたとも言われます。
 社伝では西暦では紀元前474年と思われる十代崇神天皇の御代2年とされ、これは氷川女體神社と同年で大変古い神社だと想像されます。天正19(1591)年の11月には徳川家康から社領十五石の御朱印を授けられた高い格式の神社です。
 現在の中山神社という社号は明治40(1907)年に周囲の神社を合祀していく中で、鎮座地である中川の「中」、そして江戸時代からの新田開発で氏子付き合いが深められた上山口新田の「山」を合わせたものとされています。
 さて、冒頭の「レイライン」ですが、中山神社は氷川神社と氷川女体神社の直線上に配置されています。そして、かつては満々と水を湛えた見沼を見ながら中間点と言っていい位置です。そして、この直線で見ると夏至の日没は氷川神社に沈み、冬至の日の出は氷川女体神社から昇ります。エジプトのピラミッドでも言われますが、農耕での「暦」は非常に重要で、太陽の移動を正確に把握するために意図的に配置されていると言われています。
 また、氷川神社を「男體社」、氷川女體神社を「女體社」と呼び、そして中山神社を「氷王子社(簸王子社)」とする事があります。主祭神を見ると氷川神社は素戔嗚命、氷川女體神社は櫛稲田姫、中山神社はこの2柱の子供神である大己貴命で家族関係が形成されているところも、この意図を読み取る鍵になっているようです。また、ちょっと不思議なのが境内社の荒脛社…。氷川神社の門客人神社との繋がりが気になります。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

神社概要

【御祭神】大己貴命素盞嗚命稲田姫命

【社殿】 流造

【鎮座地】 埼玉県さいたま市見沼区中川143

【アクセス】JR大宮駅から国際興業バス(大12系統中川循環) 中山神社前
      JR北浦和駅から東武バス(岩02、岩03など) 富士見ヶ丘から徒歩10分

【創建】崇神天皇2年(紀元前95)

【社格】 旧村社

【境内社】八社(神明社、飯成社、淡嶋社、疱瘡守護社、磐社、石上社、竈神社、稲田宮主社)、荒脛神社、稲荷神社(2社)、旧本殿

【例祭】11月23日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 荒脛神社と合わせ2種あり。当日は書き置きにて

【ご朱印帳】 あり

【HP】 なし

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

縁結び、夫婦和合、子授け、金運招福、商売繁昌、災難除去、疫病除け、病気平癒、無病息災、厄除開運、衣食住守護、五穀豊穣

ギャラリー

参拝記

 氷川三社で最後の参拝となった中山神社です。
当日は東武バス(岩03)に乗り、富士見ヶ丘で下車して徒歩コース。のんびりとした住宅地を抜け、少し木陰になった場所が神社の長い参道です。
 そして、大きな狛犬に一礼しながら境内へ。でも…社務所が見つからず。「あれ?御朱印、なしだっけ?」とか思いながら、自然と境内社に目をやりながら、拝殿へと向かいます。
 かなり素敵な拝殿、そして脇に回ろうと思った瞬間!「あった!」。タッパウェアに入った御朱印を発見です。それも2種類!初穂料は指定の通りに賽銭箱に入れて、更に拝殿の張り紙などを見ているとお守りに御朱印帳の案内もあるじゃありませんか!しかし、どこで頂けるかが判らない(涙)。
 ちょっと後ろ髪を引かれる気分ながら、拝殿を回り込んで本殿を拝見、そして、その裏にある旧本殿にもお参りです。桃山時代の建立と言われる旧本殿は、簡素な古い時代の見世物造と、階段などの装飾が施された流造の中間だそうで、貴重な史料にもなっています。が、拝殿にお参りしているだけでは、絶対に見えないところに置かれています。神社にお参りした際は隅々まで巡ってみないと見どころを見落とすことになるんですねぇ。
 そして、私にとってのもう一つの見どころは、荒脛(あらはばき)神社です。あらはばきの神様は、色々謎の多い神様ですが、拝殿に飾ってあったお守りでは、遮光式土偶の姿で描かれています。このお社を通じて大宮氷川神社とつながっているとも言われるファサード的な扱いとなっていますが、おそらくは氷川三社として出雲系の神様が祀られる以前に、ここを治めていた神様なんでしょう。とか思いながら、残りの境内社にもお参りしてまいりました。
 なお、境内社八社に並ぶ稲田宮主社が氷川女體神社と繋がっているそうです。これで、親子三神様が手を繋いでいる絵が頭の中に浮かんできます。

関連

大宮 氷川神社(氷川三社)
氷川女體神社(氷川三社)