川越不動
目次
成田山 川越別院 本行院
御由緒
石川照温が廃寺になっていた久保町本行院を復興し創建。
照温師は文化2(1805)年、下総国葛飾郡の農家に三男として生まれました。幼ない頃から他国に出てさまざまな困難や波乱に富んだ半生の中で、両眼を失明してしまします。世を儚んだ照温は三度も自殺を図りますが、いずれも未遂に終わり、この事から己を捨てることが出来ずに自殺も叶わなかったのは、神仏が未だに自分を見捨てていなかったからと固く信じるに至りました。そして成田山新勝寺で断食行に入り、この修行の中で失明していた両眼に異変を感じ、そして少しずつ視力が回復してきます。そして満願の頃にはほぼ元通りに戻ります。この事から不動尊の偉大な加持力、また大慈悲に心から感激して一生を明王のために捧げることを誓ったのです。天保13(1843)年、39歳になった照温は成田山の貫首である照阿上人を慕い出家得度しています。その後、照阿上人の許しを得て、不動明王の御霊德を鼓吹するための諸国巡歴の旅に出ます。その旅の中で各地に照温の徳を慕い集ってくるものが増してきたことから、川越に不動明王を安置して照温を住まわせようと動き出します。そして10数人の地元有力者が川越城主松平大和守から廃寺となっていた川越久保町の本行院を再興の許可を得たのです。
そして嘉永6(1853)年、本行院を復興させ、成田山貫首照輪上人が御本尊不動明王のご分霊を開眼して照温に授与しました。このことで川越に成田山の別院が成立しています。
明治10年から成田山本行院と公に呼ばれるようになり、本行院の建物等一切を本山の管理に移しています。現在、各地に成田山の別院を見ることができますが、この本行院が最初の別院となったのです。
歴代の本山貫首を兼務住職となっています。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★
寺院概要
【山号/院号】 成田山/川越別院
【宗派、御本尊】真言宗智山派/不動明王
【所在地】埼玉県川越市久保町9-2
【アクセス】 西武線 本川越駅から徒歩15分
東武東上線 川越市駅から徒歩17分
JR 川越駅から徒歩約22分
【開山】 嘉永6年(1853)
【ご朱印】 あり
※ 七福神の御朱印もあり
【ご朱印帳】 あり
【HP】オリジナル
【SNS】なし
地図
寺院お得意の御利益
ひと足伸ばして
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