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忍諏訪神社
御由緒
82代後鳥羽天皇の建久年間(1190年〜1199年)、忍三郎・忍五郎家時等の一族が居住し始めた頃とも、「持田村誌」に依れば、成田親泰が延徳3(1491)年に忍城を構築した時に、持田村鎮守諏訪社(持田諏訪神社)を城鎮守としたとあるのが、忍諏訪神社だとしています。
成田氏代々の崇敬を受けた後、寛永16(1639)年に城主となった阿部忠秋は城郭の修築に合わせ正保2年(1645)年に本殿を造営、寛文12年(1672)に拝殿を新たに建立しました。
因みに阿部忠秋は、徳川家光・家綱の2代に亘り老中を務めた人物で、その政治的手腕は高く評価され「細川頼之以来の執権」とも言われています。また、捨て子を何人も育て、優秀な奉公人に育て上げた。慈愛に溢れる人物だとも言われています。
文政年間、松平忠義が伊勢桑名から移封された際、城内字下荒井に東照宮、城内にあった多度社・一目連社を勧請しましたが、これらは明治6年の城郭取り壊しに際して、諏訪神社の境内へと遷座されています。更に城内各所の小祠、科斗社・八幡社・久伊豆社・荒神社・春道稲荷大明神・神明社・二ノ丸稲荷大神・天神社・両棟稲荷大明神の九社も同時に合祀されています。
なお、合祀された多度社・一目蓮社は、それぞれ天津彦根神・天目一固神となっており、多度神社は文政6年(1823年)、松平忠堯は、伊勢国多度山より城内に勧請したそうです。またそれぞれ現在の鎮座地より西北に200m程の所にあったそうです。折雨や海上の風難、水火の災いにご利益があるそうです。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★
神社概要
【御祭神】 建御名方命、八坂刀売命
【社殿】
【鎮座地】 埼玉県行田市本丸12-5
【アクセス】秩父鉄道 行田市駅から徒歩10分
【創建】 不詳
【社格】
【境内社】 多度社、一目蓮社、科斗社、八幡社、久伊豆社、荒神社、春道稲荷大明神、神明社、二の丸稲荷大明神、天神社、両棟稲荷大明神
【例祭】7月26-27日
【氏子】
【ご朱印】 あり
※ 東照宮と合わせて一面
【ご朱印帳】 なし
【HP】 埼玉県神社庁
【SNS】 なし