埼玉縣護国神社

御由緒

 鳥羽・伏見の戦い以後の国事に殉じた埼玉県関係の戦没者51180柱が祀られる埼玉縣護國神社。
 満州事変で英霊が増加したことを機に招魂社創設が求められ、昭和9(1934)年4月9日、当時の近衛師団長だった朝香宮鳩彦王が臨席する中、埼玉県招魂社として鎮座し、昭和14(1939)年に埼玉縣護國神社と改称した上で指定護国神社とされています。
 これ以前、埼玉県人の英霊は県内各所に神籬を建てて鎮魂慰霊の祭祀を行っていましたが、護国神社が創建されたことで統一した祭祀が行われるようになりました。
 終戦を迎え昭和21(1946)年2月には宗教法人となって、一時、埼霊神社と改称されていますが、昭和27(1952)年に再び埼玉縣護國神社へと戻っています。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★

神社概要

【御祭神】埼玉県出身の戦没者

【社殿】 神明造

【鎮座地】 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町3-149

【アクセス】JR 大宮駅から徒歩15分
      東武東上線 北大宮駅から徒歩10分

【創建】昭和9年(1934)

【社格】 旧指定護国神社

【境内社】

【例祭】4月9日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 埼玉県護国神社清掃奉仕の会

【SNS】 なし

地図

参拝記

指定護国神社としては、こじんまりとした作りの埼玉縣護国神社は氷川神社のすぐ近くに鎮座しています。
鳥居をくぐればすぐに拝殿があり、ちょっと拍子抜けするくらいの設えではあります。
しかし、とても良く掃き清められた境内は、通りに面していながらも落ち着いた雰囲気に満ちていているのです。

護国神社ですから、特に境内社もなく、幾つかの碑が境内に置かれているだけです。が、その中に「砲弾」が一つ。その脇には
「(前略)この艦砲弾は古い型の砲弾であります、東郷元帥が聯合艦隊を率い(中略)後のフォ、凱旋廻港のみぎり、各地の御一宮にその際出撃致した戦艦を始め各艦の砲弾を御奉納されたとの説があります。(中略)この砲弾はその時期に武蔵一宮氷川神社に奉納され境内のいずれかにあつたと思われますが、戦後の混乱期にどこかに流出致しておりました。艦砲の砲撃手は俗に自ら鉄砲屋と呼び一弾一弾を我が子のように慈しみ、(見事命中してくれよ)と祈りを籠めて懸命に磨き上げたと聞いております。この砲弾もそうであったに違いないと思います。
 この砲弾を使用した艦名が判明しておりません。御存知の御方がおられましたら、是非御教示、ご指導頂ければ幸甚に存じます。」


と平成25年付で書かれていました。既に風雨でサビも多く浮いているのですが、平和な時代だからこそ、そんな思いのこもった砲弾が、どんな艦に積載されていたのかが判れば良いのですが。(↓のinstaでも見ることができます)

ギャラリー

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