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調神社

狛兎がお出迎え

御由緒

ちょうじんじゃ? しらべじんじゃ? いえ違います「つきじんじゃ」です。とは言え、通常の漢字辞典で「調」を「つき」と読ませるとはしておらず、もしかしたら「みつぎ」が転じたのかな?と理解しています。
というのも、社記である『調宮縁起』では、第9代開化天皇の乙酉(紀元前156)年3月に奉幣の社として創建されたのが始めだとしており、第10代崇神天皇の時には伊勢神宮斎主の倭姫命が勅命で参向し、清らかな地として、この地を選んで神宮に献る調物を納める蔵を建設し、関東の初穂米調集納蒼運搬所と定めました。
 これ調物が「みつぎもの」であい、これが「つき」とかと想像しています。また、この神社には鳥居がないことでも知られています。これも調物の運搬の妨げとなる鳥居・神門を取り払うよう命じた倭姫命の影響だと伝えられています。
 ただし宝亀2(771)年には武蔵国の帰属が東山道から東海道に変更され、ここを調物が通らなくなったようです。しかし役割を終えた御倉が神聖視され、神社として奉斎されるようになったのが蔵から神社への変化を起こした実際の創建なのだと推察されても居ます。
 延長5(927)年に成立した『延喜式』神名帳でも武蔵国足立郡の「調神社」と記載された式内社となっています。
 なお、この神社の別称は「調宮(つきのみや)」。で社号の「ツキ」により月待信仰が古くからあり、鳥居が無いことよりも寧ろ狛犬の代わりに狛ウサギがある神社としての方が有名かもしれません。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

神社概要

【御祭神】天照大御神豊宇気姫命素盞嗚尊

【社殿】 権現造

【鎮座地】 埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25

【アクセス】JR 浦和駅から徒歩10分

【創建】開化天皇3年(紀元前156)年

【社格】 式内社(小)、旧県社

【境内社】稲荷神社、調宮天神社、金毘羅神社

【例祭】7月20日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 なし

【SNS】 なし

地図

参拝記

神社お得意のご利益

運気上昇、ツキが来る

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