来宮神社 拝殿前から

目次

来宮神社

御由緒

 境内にある由緒書では、およそ3,000年以上も前、大己貴命が国を治めるため、島根県と思われる西の国から諸神を率いて伊豆の熱海に上陸したとしています。そして、この地方を治めると、温泉に恵まれ気候風土が良く、更には物資も豊かなことを喜んだ命が居を構えた跡が、この神社だと伝えています。
 その後、十二代景行天皇の御代には日本武尊を、四十三代元明天皇の御代、和銅3年(710)には五十猛命が祀られ、現在の三柱の御祭神が整います。
 来宮神社のサイトなどでは、五十猛命が祀られた経緯を

今から凡そ千三百年前和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので不思議に思っていたところ、ふとそこに童子が現れ「我は五十猛命である。」
 此の地に波の音の聞こへない七体の楠の洞があるからそこへ私をまつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童子は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた所が、今の此の地であり、毎年六月十五日(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭りを行う。(七月の例大祭。こがし祭)
 当時海辺で神に麦こがしをお供へした故事にならい今でも古くから引き続いてこれを神に供えて、尚、国の天然記念物に指定されている此の大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神をまつっていました。いわゆるヒモロ木神社である事は故宮地直一、加藤玄智両博士の著書にも述べられています。

http://www.kinomiya.or.jp/top/gosaijin.html

 と説明しています。書かれている7本のうちの5本は、嘉永年間(1848~53年)に起きた漁業権を巡って起きた大網事件での費用のために伐採し、今は残っていません。今も残る大楠も伐採されそうになったのですが、突然現れた白髪の老翁が木こりの前に立ち塞がり、大鋸を2つに折ってどこかへ消えた事から、ご神木として崇めるようになったと言います。また、一の鳥居付近にある第二大楠も、この事で今も伐られることなく残すことができました。
 また、一の鳥居近くや境内にあるカフェでは、麦こがしをあしらったスイーツが目立ちますが、ここに書かれているように、古来からの供え物であることが由来となっていて、更には、五十猛命の神像が見つかった時、それを松の下に祀つり、持っていた「麦こがし」を供えたとも言われることから、例祭には麦こがしが撒かれています。
 ちょっと香ばしい風味に3,000年以上の神社の歴史を感じることができればラッキーなのかも知れません。

神社概要

【御祭神】 日本武尊五十猛命大己貴命

【社殿】流造

【鎮座地】 静岡県熱海市西山町43-1

【アクセス】 JR来宮駅から徒歩5分

      熱海駅からバス(十国峠行または西山循環)

【創建】 不詳

【社格】 旧村社・別表神社

【境内社】 三峯神社、来宮稲荷明神、来宮弁天社

【例祭】 7月14-16日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※  兼務社 湯前神社、境内社 来宮弁天の御朱印も受領可

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 Twitter : @Kinomiya_Jinjya

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地図

神社お得意のご利益

来福・縁起の神、商売繁盛、良縁招来、身体強健、武勇、決断、樹木と自然保護、禁酒など断ち物

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 2020/2 久々の参拝でした。折りからの新型肺炎騒動などの影響か、以前は外国人で賑わっていた境内は、ほぼ日本人だけ。それでも平日とは思えない参拝者数なのは、さすがにマスコミなどでも取り上げられるパワースポット効果なのでしょう。
 詳細は、ブログへ。