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目次

築地本願寺

御由緒

 築地の交差点から見えるインドのヒンドゥー寺院を思わせるような大きな伽藍の築地本願寺。
 元々は西本願寺の別院として浅草御門南にあった横山町(現 日本橋横山町)に元和3(1617)年に建てられた古い寺院ですが、明暦3(1657)年に起き、後に江戸の三大大火に数えられる明暦の大火により本堂を焼失しています。
 寺としては即時再建をしたかったのでしょうが、幕府の区画整理計画もあり再建がなかなか認められませんでした。その後、再建が具体化したのは、その代替地として八丁堀沖の海上が下付されてからです。これに対して佃島(現 中央区佃)の門徒が中心になって海を埋め立てて土地を築き、この土地が人によって作られた土地と言うことで「築地」と呼ばれるようになり、本堂再建がようやく1679年に再建されました。
 大正11(1923)年の関東大震災で苦労して建てた本堂がまたも焼失してしまいます。これを機に58か寺あった寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転し、昭和9(1934)年、東京帝国大学工学部名誉教授 伊東忠太の設計で三度目の本堂が建てられます。伊東氏は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交があり、以来を受けてのものだったようですが、それ以前、伊東氏はアジア各国を旅しています。同時期、仏教伝来ルートの研究のため大谷師も探検隊を結成して、シルクロードを旅していました。この時に二人が出会い、現在は国の重要文化財に指定される本堂建築へと繋がるのですから、偶然というより必然のめぐり合わせだったのかもしれませんね。本堂は鉄筋コンクリート造で、大理石彫刻がふんだんに用いられていて、インドを始めとしたアジアの古代仏教建築をモチーフにした外観、本堂の入り口にはステンドグラスや多数の動物の彫刻が施されており、独特な雰囲気にあっとうされそうになります。そしてお堂の中に入ると、広々とした参拝スペースの奥に阿弥陀如来が鎮座しており、一気に日本の伝統的な寺院へと誘われていきます。
 本堂の大きさは、都内屈指かと思います。市場が無くなり築地という場も今後、新しい歴史を刻んでいくとは思いますが、残された戦前の建築物をみるだけではなく、広い境内にかつては58もの子院があったこと、そして、それ以前は東京湾の水の上に門徒たちが懸命に土地を作ったことなどを想像してお参りすると、一味変わったお寺が更に深みをまして見えてくるのではないでしょうか。

私見ですが

 歴史をまともに知らずにお参りすると、大枚を払って贅を尽くした寺院を作ったものだなぁ。と思うばかりでした(かなり本音です)。しかし、横山町からの移転、そして土地の干拓造成を考えると、当時の人達の執念と信仰心が今のインド風の建築物の基礎になっているように思えてきます。
 このサイトでも元々、ここの子院だったものが震災で焼け出され、移転したという由緒を持つお寺を紹介しています。今後、できるだけ「元子院」を一覧にできればなぁ。と力不足を知りながら弁えもなく思い描いて見たりしています。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★★

寺院概要

【山号】

【宗派、御本尊】浄土真宗本願寺派/阿弥陀如来

【所在地】 東京都中央区築地3-15-1

【アクセス】 東京メトロ 築地駅から徒歩1分

東京メトロ 新富町駅から徒歩5分

都営地下鉄 東銀座駅から徒歩5分

都営地下鉄 築地市場駅から徒歩約5分

【創建】 元和3年(1617)

【ご朱印】 なし

※  無料スタンプのみ

【ご朱印帳】 なし

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

寺院お得意の御利益

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 再開発だとか移転とかで揉めた築地市場のすぐ近く、築地本願寺は、かなりオリエンタルな雰囲気のお寺です。というか、ぱっと見はお寺には見えない雰囲気です。
 関東大震災からの再建で、建築家の伊東忠太氏が設計した伽藍は、独特な雰囲気を常に漂わせています。
 そのせいか、築地見物の外国人旅行者も、写真撮影で忙しそうに楽しそうに見物している様子が見られます。
 
 とは言え、本殿に上がれば、築地の喧騒から脱出して、のんびりと悠久の時間の中で心を落ち着けることができる聖地でもあるのです。