南蔵院(志村不動)

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御由緒

 創建は、寺伝によれば

中世の昔、新井三郎盛久は他の仲間達と戦乱を避けて、ここ武蔵国豊島郡の志村庄に移り住み、荒れ地を開墾して蓮沼村を開いた。

南蔵院開山

とされ、詳細は不明ですが戦国時代に創建されたと思われます。当時は現在の志村坂下に位置していたようです。しかし、戦乱を避けて建てたお寺もやがて戦火に巻き込まれ、堂宇は全焼、貴重な史料も多くが消失したそうです。しかしながら、御本尊の十一面観世音菩薩、また弘法大師空海自作の大師坐像、行基作の阿弥陀如来像などの諸尊像は運び出されて難を逃れたと言います。
 しかし、低地の志村坂下は荒川の水害に苦しめられます。享保7(1722)年には八代将軍の吉宗が戸田川(荒川)へ鷹狩をする際の御膳所と定められたそうで、幕府のお墨付きのついた格式高いお寺となったのですが、享保9(1724)年、水害を避けるため別当となっていた氷川神社と共に現在地へと移転しています。因みにこの蓮沼 氷川神社は「十度の宮」とも呼ばれたそうですが、この水害によって社殿が何度も移動した事に由来するそうです。
 また、このお寺には志村不動の他にも「櫻寺(桜寺)」の別名もあります。これは、桜を殊のほか好み、各所に植樹した吉宗が境内の枝垂櫻に目を留めて名付けたそうです。
 そして、別名にもなっているお不動様ですが、元々は南蔵院の末寺、金剛院のご本尊だったそうです。このお寺を昭和2(1927)年に、合併した際、その御本尊と本堂を境内に移築し不動堂としているそうです。
 このお不動様には厄難消除の御利益があるそうです。

私見ですが

 初参拝の2022.1。ご本堂で手を合わせているとニコヤカに「ご苦労さまです」と言っていただいた方、「お寺の方かな?」と思いつつ、よく判らずに「おはようございます」と返すと、トントンと本堂に上がって朝の支度をされている様子に「あ、お寺の方なのね」と納得。
 そして寺務所で御朱印をお願いすると、先程のお坊さんがやはりニコニコとして対応して頂けました。お正月の名残なのでしょうかダルマを模した容器に入った「みほとけの言葉」と言うおみくじのようなものを引かせて貰い、開いてみるとなナポレオン・ヒルの言葉で(😁)「待っていてはだめだ。完璧な好機など永遠に来ない。」と言う意味が書かれていました。何か、すぐに迷い込んでしまう自分の背中を押して頂けたような気がします。そして「関東三十六不動尊霊場の東京が終わりなら、次は埼玉ですか?」と聞かれたので「まずは神奈川ですかねぇ。千葉が最後になりそうです」と答えると「成田山には?」「まだです」「是非、お参りすると良いですよ」とお話を頂けました。すると私、何を思ったのでしょう(と言うか念願ではあるのですが)「一周目は御朱印帳にいただきますが、二周目はお軸で頂いて歩こうかと思っています」と話してしまいました。お坊さんに嘘はつけませんから、何とか頑張りましょう(To 自分へ)。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

寺院概要

【山号/院号】 亀頂山/密乗院

【宗派、御本尊】真言宗豊山派/十一面観音

【所在地】 東京都練馬区石神井台1-15-6

【アクセス】都営地下鉄 三田線 本蓮沼駅から徒歩5分

【開山】 戦国時代?

【ご朱印】 あり

※  不動明王ならびに千手観世音菩薩の2種あり

【ご朱印帳】

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

お寺得意の御利益

厄難消除(不動明王)

参拝記

ひと足伸ばして

ギャラリー