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富岡八幡宮
御由緒
「江戸最大の八幡様」で知られる富岡八幡宮。創建当時は当代島と呼ばれた、この門前仲町に寛永4年に建立されました。
江戸時代の建立の八幡の大宮というところから、想像できる通り、八幡神を氏神とする源氏の末裔、徳川将軍家から手厚い保護を受けることができました。そして、明治維新の後には准勅祭社として皇室からも大切にされた神社です。この准勅祭社としての事実から、現在は「東京十社」の一つに数えられてもいます。
境内には多くの境内社の他、相撲関係の碑群、そして伊能忠敬の像が置かれ、江戸文化との繋がりが強く遺されています。それらの碑の中でも新しく建立されたものが昭和天皇の顕彰碑です。
単に顕彰をする為の碑ではなく、昭和20年(1945)3月10日に行われた「東京大空襲」での陛下の行動を記念するものなのです。広島・長崎の原爆とは違い、通常兵器である焼夷弾を中心とした空襲は、東京都内、下町を中心に10万人とも言われる犠牲者を生み出し、東京を焼け野原にしてしまいました。陛下は3月18日に富岡八幡宮を訪れます。そこで被害状況などの説明を受け、そして被害者の救護に全力を尽くすよう命じられたのです。この訪問、決して大げさに人を連れていたわけでもなく、陛下が直接、状況を把握したいがためのものだと思われます。皇居からの往復も陛下には強い印象を与えたのでしょう。発せられたお言葉の中には「大正12年の関東大震災の後にも、馬で市中を巡ったが、今回の方がはるかに無惨だ」と言うものがあります。これが、約5ヶ月後の終戦の決断へと強く結びついていたとも言われています。
参拝記
8月の炎天下、普段の通り深川不動堂から道を渡って境内社を経由しての参拝となりました。御例祭前で、あちこちで屋台設営の準備が行われ、まだ賑やかとは言わないまでも、どこかザワザワとした雰囲気で満ちています。
何度も参拝している神社ですが、ふと拝殿前に置かれた地図から「あれ?境内社…お参りしてないところが」と気づきました。そう不動堂側にある境内社は知っていたのですが、七渡弁天社にはお参りしたことがなかったのです。
そこで、一度、一の鳥居から辞去する形をとって、脇道を本殿方向へ進んだ後、神馬像を右手に折れて七渡弁天社へとお参りを試みます。頭の中では「まぁ、5分だな」と小さな祠を想像していたら…全然違う!!
神池が置かれ、その先に弁天社が、そして弁天社の左手に小さめの社殿が2つも。「わぁ〜ぉ」です。神地こそ緑に染まってはいますが、決してうるさくもなく、それでいて寂しくもない風景は、知っている富岡八幡宮とは全く違う雰囲気。おまけに稲荷神社前には短めですが、朱に塗られた鳥居が千本鳥居風に配されていて、実は、凄いフォトジェニックなポイントになっているんです。おまけに、置かれた狛犬の表情が豊かすぎて…。至福です…(笑)
神社概要
【御祭神】応神天皇(誉田別命)、相殿:神功皇后・仁徳天皇・天照皇大神・常磐社神・武内宿祢命・日本武尊・天児屋根命・竈大神
【例大祭】8月15日
【鎮座地】東京都江東区富岡1-20-3
【社格】旧府社、別表神社
【創建】 寛永4年(1627)
【境内社】七渡神社(弁天)、粟島神社、車析社、客神社、野見宿禰神社、住吉社、聖徳太子社、天満天神社、祖霊社、花本社、永昌五社稲荷神社、鹿島神社、大鳥神社、恵比須社、大黒社、恵比須社、富士浅間社、金刀比羅社
【アクセス】都営地下鉄、東京メトロ 門前仲町駅から徒歩3分
【HP】オリジナル
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