三穂 道別 稲荷神社

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御由緒

この規模の。と言っては身も蓋もない感じに聞こえてしまうかも知れませんが、とても小さな、町中にあるお稲荷さんです。ただ、特徴が2つ!
その一つが写真の通り、鳥居が隣接するアパートに向かって立っています。しばしば観るオカルト系Youtubeで、このような立地のアパートは人が居着かないなどと言われています。が、少なくとも某事故物件サイトで火の玉マークは付いておりません。(正面のお部屋は空室なのか何なのか、雨戸が閉められていましたが)。
そしてもう一つが、由緒書がある!です。石碑や表示板ではなく紙がアクリル板で作られたケースに入れられているのです。これは嬉しい!文化財などに指定されると、区役所や教育委員会が略歴を書いてくれますが、この界隈は日本橋以上に稲荷神社が林立しており(大げさではないです)、由緒の判らない神社が沢山あるのです。そんな中で、有志として町会の方が印刷して配布してくれているのですから、佳き神社です(😁)。

『御府内寺社備考』[神社]に「深川海辺大工町裏町 満穂稲荷社 境内除地四十八坪持添 町並御年貢地五十六坪 当社者慶長元申年[1596]起立之由」とか彼(慶長18年[1613]、寛永7年[1630]との説もある)、『寺社書上』には「深川元町神明別当泉養寺持」とあり『葛西志』には「里人の伝に、古は社地わずかに三坪あり、世に三坪の稲荷といへり」とも書かれています。ここ小名木川の南岸は海辺で、埋め立てられた土地であるといわれています。小名木川の関係で船大工の集落ができ、海辺大工町と呼ばれるようになったと思われます。
当神社は、いにしえ、泉養寺の管理であったこと。専養寺(現・市川市国府台)は、深川の開拓者・深川八郎右衛門一族の菩提寺であります。また、社地が三坪だったので三坪神社と呼ばれていたのを満穂になり、さらに三穂に変えています。三坪の三が関係しているのかも知れません。
満穂稲荷社とは別にあった道別(*筆者注:みちわけ)稲荷の創立は「長禄年間(1457-1460)とも伝えられている」とのことですが、昭和40(*筆者注:1965)年4月に隣り合わせにあった道別稲荷を合併しました。毎年4月15日例大祭ですが、4月15日に近い日曜日に町会の行事として、富岡八幡宮の神主をお迎え、お祓いをいたし、例大祭を行っています

「三穂 道別 稲荷神社の由来」より転載

と言うことで、道別稲荷の方が古いお社のようですが、三坪と言われる境内に合併下側が満穂稲荷の方だったのでしょうね。通りをただ歩いていると、恐らく気づくこともない小さな神社ですが、江戸時代以前から大切にされていた神社です。これからも正面のアパートを初め、町を見守ってくれるでしょうね。

私見ですが

相当近くに歩いていかないと存在に気づくこともできない神社です。Google Mapが指定した通りに小さな社号碑があったのが救いになって辿り着く事ができました(偉いぞGoogle!)。それに気づかなければ下町界隈にある普通の路地にしか思えなかったんじゃないかと言う具合です。そして、そんな路地に入るとすぐに鳥居が目に入り、それがアパートに向かって立っている事に、ちょっとびっくり。鳥居からのご正中に住むのってどんなかんじなんでしょうね。
もしかしたら、アパートが建つ以前から、民家に向かった鳥居になっていたのかも。と言うのも、路地の真ん中にあるだけに、南北に横たわる2つの並行した車道には面しておらず、いわば路地そのものが参道になり、アパートはご正中と言うか、お稲荷様の通り道から外れているのかもしれませんね。
兎も角も、町会の皆さんの暖かさが伝わってくるような神社でした。

お気に入り度
 ★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★★

神社概要

【御祭神】

【社殿】

【鎮座地】 東京都江東区清澄3-9-7

【アクセス】 都営新宿線、東京メトロ 半蔵門線 清澄白河駅から徒歩2分

【創建】 慶長元年(1596年)、なお慶長18(1613)年・寛永7(1613)年との説もあり

【社格】

【境内社】

【例祭】 4月15に近い日曜日

【氏子】

【ご朱印】

※ 特記なし

【ご朱印帳】

【HP】 

【SNS】

地図

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参拝記

2022.3.21 参拝記

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