正覚寺(目黒)

御由緒

 中目黒の駅からほど近い日蓮宗の寺院、正覚寺。元和5(1619)年に法泉院 日栄を開山、三沢初子を開基に創建されました。
 この三沢初子と言う人物は、境内に銅像も立つほどなのですが、私自身は調べるまで全く存じ上げませんでした。そこで、少し説明に行数を費やすことにします。
 三沢初子は仙台藩 第3代藩主 伊達綱宗の側室で第4代藩主 伊達綱村公の生母です。綱村が生まれた時点で仙台藩は内部抗争の状態にあり、僅か2歳の時に父 綱宗は隠居、綱村が後継となりました。この2歳とは数え年ですから満年齢だと1歳4ヶ月。赤ん坊ですよね。
 しかし家督相続が終わっても内部抗争は終わっておらず、寛文6年(1666年)、綱村8歳の時には毒殺されかける事件まで起きたそうです。
 このような状況は幕府の知るところとなり、当事者たちは江戸に呼び出され審問を受けることになります。これは仙台藩改易、あるいはお取り潰しのピンチを意味しています。審問は2度行われ、2度目は大老 酒井忠清の邸で老中全員と幕府大目付も列座する中で行われました。すると控え室で仙台藩の重臣 原田宗輔が伊達家一門の涌谷伊達家2代 伊達宗重を斬殺してしまいます。更には老中が揃っている部屋に突入する狼藉を働き、これを止めようとした同じく仙台藩の重臣 柴田朝意との斬りあいになってしまいます。これに審問の聞役だった仙台藩士 蜂屋可広が柴田に加勢したのですが、この3人ともに酒井家家臣に斬り殺されてしまいます。
 結果として綱村は幼少のためお構い無し、大老宅で内紛の首謀者だった伊達宗勝とその一派、また藩主の代行としての責任を持つ二人の後見人が処罰されることになります。
 このように本来ならば仙台百万石の大藩の藩主の生母であれば悠々とした生活を遅れそうなものですが、旦那である藩主(相当な放蕩者でもあったようです)、そして自ら生んだ息子、そして藩自体の存続も危ぶまれるような状況は想像するだけで恐ろしいものです。そこで釈迦像を刻んだ伽藍の香木を、まげの中に納め、亀千代の除災招福を祈願し、また綱村を毒殺から守るため自ら増上寺の子院 良源院の井戸から水を汲み調理したとも伝えられています。
 後年、この騒動は「寛文事件」「伊達騒動」と呼ばれるようになり、黒田騒動、加賀騒動と合わせて三大お家騒動として語り継がれています。

私見ですが

サイトやインスタを始めとしてネットを活用した情報発信をここまでキッチリとやっているお寺は珍しいように思います。私自身にもネット発信の仕方の勉強になります!

寺院概要

【山号】 実相山

【院号】

【宗派、御本尊】日蓮宗/阿弥陀如来

【所在地】 東京都目黒区中目黒5-24-53

【アクセス】 東急東横線中目黒駅から徒歩で5分

【開山】 元和5(1619)年

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 なし

【HP】 オリジナル

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