瀧泉寺(目黒不動)

御由緒

 平安時代の大同3年(808年)に開山された龍泉寺。当時15歳の慈覚大師・円仁が師である広智阿闍梨に伴われて、生地である下野国(栃木県)から伝教大師・最澄のいる比叡山延暦寺に向かう途中で一夜を過ごした目黒。その夜、顔色は青黒く、右手には降魔の剣、左手に縛の縄を持ち、恐ろしい顔つきの形相をした神人が夢枕に現れたそうです。そして、『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げました。慈覚大師は、翌朝、夢枕に現れた姿を思い出しながら、像を彫り安置したのが起源とされています。なお、このご尊像は秘仏とされていて、酉年にだけご開帳されるそうです。
 ただ、この時に慈覚大師は、その神人が不動明王とは気づかなかったと言われ、後に唐へ留学し、長安の青竜寺で像を見た時に初めて、それが不動明王だと知って、帰国後にお堂を建立したそうです。
 貞観2年(860)には、清和天皇から「泰叡」の勅額を下賜されます。そして、これをとって泰叡山を山号としています。  
 境内にある独鈷の瀧は、慈覚大師が堂宇を建立するため、その敷地を定めるようと持っていた独鈷を投げた浄地から湧き出したと言われています。以来、この滝は枯れることもなく、今に至っています。  
 時代が下り、江戸時代になると、近隣で鷹狩が盛んに行われるようになります。そんな中で、鷹狩をしていた三代将軍 家光の鷹が逃げ出してしまいます。困った家光が不動尊に祈願をすると、間もなく鷹が本堂前の松に現れたそうです。これで大喜びした家光は不動明王を尊崇するようになり、伽藍は『目黒御殿』と称されるほど華麗を極めました。なお鷹が現れた松は「鷹居の松」と呼ばれています。
 五色不動の一つに数えられていますが、これはそれぞれが、江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護を担っています。
 埋葬されている有名人、著名人の中でも、さつまいもで有名な青木昆陽の墓は、自筆の『甘藷先生墓』の墓石が置かれ、国の史跡にもなっています。

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

寺院概要

【山号】 泰叡山

【院号】 護國院

【宗派、御本尊】天台宗/不動明王

【所在地】 東京都目黒区下目黒3-20-26

【アクセス】 JR 五反田駅からバス

目黒駅から徒歩20分

東急目黒線 不動前駅から徒歩12分

【開山】 大同3年(808)

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

寺院お得意のご利益

良縁(愛染明王)、金運(金明湧水+三福堂)

ギャラリー

参拝記

何度目かの参拝なのですが、今回は少し気合を入れて巡ってみました。
まずは、大本堂。初めて上がらせて頂きました。広いです。お不動様も近くで拝ませて頂きました。そして外の大日如来像、愛染明王他、石不動とどんどんと巡ってみました。そして改めて山王鳥居を見ていると「神仏習合〜」と書かれた立て札があります。これで良いんだと思います。
女坂から下へ。そして水掛不動にお願いをし、各お堂へ。しかし、いくつお不動様がいるんでしょう。なんだか憤怒の形相を拝むのが嬉しくなってきます。
そしてバスにでも。と、バス停に向かうと、赤い鳥居がありますね。恵比寿様を含む三福神だそうです。これ、全然気づいていませんでした。その祠の近くに手水鉢?と思しきものが…ただ、ちょっと水や石の色が尋常ではないので、スルーしてお参り。
で、バス停に戻ろうかと思ったら「金明湧水」と書かれた立て札があります。じっくり読むと。
・まず三福神にお参り
・お金を洗う
・お金を洗う際には5円玉を添えて
と、書かれています。そう手水鉢ではなく銭洗いだったのです。
当然。がっつりと、洗わせて頂きました。