祐天寺

日本のゴーストバスター伝説

御由緒

 「祐天寺」と言うと、駅名や地名を連想する方が多いかもしれませんが、目黒不動(瀧泉寺)と並ぶほど、大きな浄土宗の名刹です。
 お寺の歴史は祐天上人と言うお坊さんが亡くなったところから始まります。この祐天上人は、増上寺の36世住持で享保3年の春ごろから高齢だったこともあり体調が悪化し、弟子の祐海が祐天の常念仏を行える廟所を探す事になります。そしてしかし同年7月15日(1718年8月11日)に祐天が亡くと祐天の望んだ目黒に廟所を建立することにして、善久院と言うお寺を百両で購入して祐海自らが住職になります。なんだかこう書くと金と名声で乗っ取ったように見えるかも知れませんが、相当な荒れ寺だったらしく、お堂などは損傷が相当に激しかったようです。祐海は住職になるとお堂の修理をしながら、祐天の廟所と常念仏堂を建立して善久院を再興したのです。
 そして享保8(1723)年1月13日、祐天寺と言う寺号が正式に許可され、開山は祐天、祐海は第2代となりました。祐海の祐天に対する思慕の念が伝わってきますね。
 これがお寺の始まりなのですが、境内に入ると「累」の塚が目立ちます。みなさんは「怪談 累ヶ淵」をご存知でしょうか。累(かさね)物として、滝沢馬琴の読み物や歌舞伎、初代 圓朝による「真景 累ヶ淵」として様々な形で江戸の人々に知られた怪談なのですが、この怪談に登場するのが祐天上人なのです。
 慶長17(1612)年から寛文12(1672)年までの60年に亘る長い長いお話です。しかも、どうやら実話らしい…。少なくとも、これにより祐天上人は増上寺住持と言う高僧としてよりも、呪術師あるいは江戸時代のゴーストバスターとして知られるようになりました。ざっくり(でもないか)、この累ヶ淵を書くと…。
 下総国羽生村に百姓の与右衛門、そして後妻のお杉、そしてお杉の連れ子の娘・助と言う家族が住んでいました。しかし、助は顔は醜く、また足も不自由で、父親とは言え血の繋がりのない与右衛門は助を嫌っていたのだそうです。そして終いには助を邪魔と考えて、ある日、助を川に投げ捨て殺してしまうのです。
 翌年、与右衛門とお杉の間に女児が生まれます。名前を累(るい)としますが、累は死んだ助にそっくりだったのです。そこで村の人達は、これは死んだ助の祟りだと口にするようになります。そして「助が『かさね』て生まれてきたのだ」と累の事を「るい」ではなく「かさね」と呼ぶようになりました。
 やがて与右衛門とお杉が相次いで死んでしまいます。これで累は天涯孤独となってしまうのですが、村に辿り着いた流れ者の谷五郎と出会い、病に苦しんでいた谷五郎を看病して、そして婿として結婚するのです。それも、二代目与右衛門として…。
 しかし次第に谷五郎は命の恩人であり、また流れ者の身を救った累に恩を感じるどころか、その醜い姿の累が疎ましくて仕方なくなります。そして恐ろしいことに累を殺し、別の女と一緒になろうと計画を練るのです。そして、そして…正保4年8月11日、出先から帰る累の背後から襲いかかった谷五郎は、計画通り、累を川に突き落として殺してしまうのです。姿形だけではなく、死に方までも「助の累(かさね)」となってしまったのです。
 首尾よく累を死に追いやった谷五郎ですが、女を後妻に迎えるものの直ぐに死んでしまいます。それも5人も連続です。それでも6人目の後妻となった、きよとの間にようやく娘が生まれ「菊」と名付けます。ここで終われば、なんやかんや言っても谷五郎にとってはハッピーエンドです。が、物語はこれでは終わりませんし、祐天上人の出番もありません。寛文12(1672)年1月、菊が突然、知るはずもない累に対する谷五郎の非道を話し始めたのです。そう、累の霊が菊に憑いたのです。そして取り付いた類は菊の体を苦しめ供養を求めたのです。
 そこに祐天上人の登場です。羽生村の近く、飯沼にある弘経寺遊獄庵に滞在していた祐天上人の耳に菊の異変…累の出現が届きます。そして祐天上人はようやく累の供養に成功し、菊を解放したのですが、菊にはまた別の誰かが取り憑いてしまいます。不思議に思った祐天上人は、その霊に語りかけると、霊は自分が「助」という子供だとわかったのです。
 今でも歌舞伎などで累物をやる際には、累塚にお参りをして舞台の無事をお祈りするそうです。

私見ですが

 もし、落語や歌舞伎ファンでしたら、お寺の御朱印の他、累塚の他、祐天上人の霊廟や累を描いた壁画、そして累の御朱印も頂けますから是非、参拝してみてください。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

寺院概要

【山号】 明顕山

【院号】

【宗派、御本尊】浄土宗/祐天上人像・阿弥陀如来

【所在地】 東京都目黒区中目黒5-24-53

【アクセス】 東急東横線祐天寺駅から徒歩で5分

【開山】 享保3年(1718)

【ご朱印】 あり

※  手書き、スタンプ、累の三種あり

【ご朱印帳】 なし

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図