目次
高野山 東京別院
高野山に行きたくさせるお寺
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御由緒
開放感に溢れた境内の高野山 東京別院。その名の通り、高野山真言宗の東京における拠点と言って良いでしょう。私にとって意外だったのは、その創建期です。てっきり明治以降なのかと思っていたのですが、実際には安土桃山から江戸時代へと遷ろう慶長年間(1596年〜1615年)、高野山の学派「宝門」と「寿門」の学侶(学僧)方の在番所として浅草日輪寺に寄留する形で開創されたそうです。
その後、延宝元年(1673年)「高野山江戸在番所高野寺」として独立した形で建立されます。この在番所の役割には、幕府との宗務全般に亘る交渉や幕府から発せられる様々な通達を全国の古儀真言寺院へと伝達する「触頭(ふれがしら)」の責務があります。このように軽々な役目では無いため、高野山から重役方が交代で参勤して来て、これらの役目を果たす他、学侶に対する教修の道場、またお大師様信仰の実践の場となったのです。
明治になって幕府が無くなると同時に在番所として役目も終わります。しかし、高野山に対する信仰の東京における中心地として残しておく必要があったのでしょう、葛飾牛島の長壽寺の寺蹟を継承することになります。そして、昭和2年「高野山東京別院」へと改称し、今に至ります。
この東京別院、またの名を「高輪結び大師」とも呼ばれます。と言うのも、現在の境内地である高輪の旧地名が「高縄」と書かれていたそうで、東海道に近い場所にあることから、江戸に魔が入らないよう結界となり、また「縄」が物を結ぶためにあるように、仏様と人、人同士など、様々な縁結びに力を与えてくれるお大師様となっています。
また、境内にはお砂踏み霊場があり、四国八十八ヶ所のそれぞれの御本尊が石造りの仏像として置かれ、その足元には、それぞれの霊場から持ち帰られたお砂が埋められているそうです。
正面に建つ大きなお堂には、自由に入ることができるスペースがあり、奥に安置されたお大師様と向き合いながら時間を過ごすことができるようになっているのが嬉しいですね。
私見ですが
お堂も新しく、また広々とした景色から、まだ歴史の浅いものと思っていた私が浅はかでした。
ただ、本堂は単に立派なだけではなく、来る人がお大師様と直に向き合える貴重な場所という気がします。
そして、その感動から「高野山に行きたい!」と言う気持ちを沸き立たせてくれたような気がしています。いつかは、高野山の奥の院にお詣りしたいと思います。
お気に入り度
★★★★
雰囲気
★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★
寺院概要
【山号/院号】 高野山/東京別院
【宗派、御本尊】高野山真言宗/弘法大師
【所在地】 東京都港区高輪3-15-18
【アクセス】JR山手線、京浜東北線 高輪ゲートウェイ駅から徒歩10分
都営地下鉄 浅草線 高輪台駅から徒歩10分
都営地下鉄 浅草線、京浜急行 泉岳寺駅から徒歩10分
東京メトロ 南北線、都営地下鉄 三田線 白金台駅から徒歩13分
東京メトロ 南北線、都営地下鉄 三田線 白金高輪駅から徒歩14分
JR線 品川駅から徒歩13分
【開山】 延宝元年(1673年)
【ご朱印】 あり
※ 数種あり
【ご朱印帳】あり
【HP】 オリジナル
【SNS】 インスタグラム