芝大神宮

関東のお伊勢様

御由緒

 当初、今は芝公園になっている飯倉山に鎮座したという芝大神宮。一条天皇の御代である寛弘2(1005)年9月16日に伊勢の内外両宮を勧請し、日向国鵜戸郡からの鵜戸石と剣を神宝としたと伝えられています。
 元暦元年(1185年)、建久4(1193)年の二度、源頼朝が神領を寄進しています。その縁からでしょう、東国の武家から厚く崇敬され、建武4(1337)年、足利尊氏の弟の直義が戦捷祈願に対する報賽の書状を奉納し、太田道灌からの崇敬を受けてもいます。
 豊臣秀吉は天正18(1590)年、奥羽平定に向かうため江戸を進発する際、戦捷祈願を行い、また徳川家康も同じ年の8月、江戸入府に際して社参しています。
 慶長3(1598)年、増上寺が境内地に移転することになり、今の境内地へと遷宮しています。その後も、家康をはじめとした徳川家が関ヶ原出陣や大坂の陣の戦捷祈願していて、更に歴代将軍や幕府、また諸大名からの崇敬、祈祷依頼が行われています。
 このように武家、更には将軍家からの崇敬を受けた神社ですが、町人からも東海道の沿道にあり江戸市中/外を区切りに鎮座していること、また増上寺が隣接していることなどから崇敬を集めるようになり、江戸から東海道を西に向かう旅人の道中の無事祈願が行われていました。また、江戸の町民が旅には関係なく参拝した背景には、お蔭参りに行きたいが旅費や日数の準備が整わないことから、その代わりに伊勢神宮の祭神を祀っている「関東のお伊勢様」へお参りをしていたとも言われています。
 明治元年(1868年)、明治天皇が東幸の際には、内侍所として使われた後、准勅祭社に指定され、明治3年(1870)年に准勅祭社制度が廃止されると、すぐに東京府の府社に列せられています。
 今では広くない境内ですが、明治9年の火災で焼失するまで多くの境内社が立ち並んでいたそうです。現在は全て本殿に合祀されています。

お気に入り度

 ★★★

雰囲気

 ★★★

アクセス(駅近、駐車場など)

 ★★★★

神社概要

【御祭神】 天照大御神豊受大神

【社殿】 神明造

【鎮座地】

【アクセス】   都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩1分
       都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩5分
       JR山手線・京浜東北線、東京モノレール 浜松町駅から徒歩5分

【創建】寛弘2年(1005年)

【社格】旧府社、准勅祭社

【境内社】

【例祭】9月16日

【氏子】新橋露月町町会
     (現・新橋四丁目と新橋五丁目そして東新橋二丁目の各一部)
    新橋六丁目東町会
     (新橋五丁目と新橋六丁目そして東新橋二丁目の各一部)
    新橋五・六丁目町会(新橋五丁目と新橋六丁目の各一部)
    新橋七丁目町会(新橋六丁目と東新橋二丁目の各一部)
    浜松町一丁目町会(浜松町一丁目の一部)
    芝浜町会(浜松町一丁目と芝大門一丁目の各一部)
    浜三町会(浜松町二丁目と芝大門二丁目の各一部)
    芝浜四町会(浜松町二丁目と芝大門二丁目の各一部)
    海岸一丁目町会(海岸一丁目)
    芝大門一丁目北親会(芝大門一丁目の一部)
    芝大門一丁目宮本町会(芝大門一丁目の一部)
    芝大門二丁目中一町会(旧・中門前一丁目。現・芝大門二丁目の一部)
    芝大門中二町会(旧・中門前二丁目。現・芝大門二丁目の一部)
    中三三治会(旧・中門前三丁目。現芝大門二丁目の一部)
    片門前町会(芝大門二丁目と芝公園二丁目の各一部)
    芝公園二丁目町会(芝公園二丁目の一部)
    芝金杉町会
     (旧・芝金杉町会・金三親和会・金四親生自治会・金杉川口町・金浜親睦会。現・芝一丁目と芝二丁目の各一部)
    芝新堀町会(芝二丁目と芝三丁目の各一部)
    芝西応寺町会(芝二丁目の一部)
    北四国町会の一部(旧・三田四国東部町。現・芝三丁目の一部)
    芝三丁目松本町会(芝三丁目の一部)
    新門前睦会(旧・芝新門前町。現・三田一丁目の一部)
    東麻布二丁目北新睦会(旧・麻布北新門前町。現・東麻布二丁目の一部)
    東麻布三丁目町会
     (旧・新網一丁目。現・東麻布三丁目と麻布十番一丁目の各一部)
    新二会の一部(旧・新網二丁目。現・麻布十番一丁目の一部)

【ご朱印】 あり

※ 特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 Twitter

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