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五柱五成神社
ごはしらいなりじんじゃ。と読みます
御由緒
神社は、、文政6(1823)年4月、新田義貞の子孫と言われる槙屋平兵衛が伏見稲荷大社から勧請して祭神を槙屋末広稲荷様として建立したと言われます。当時は邸内社として祀られ、また慎屋に子どもが居なかったため、その名跡は大塚平兵衛が継いだとされ、神社も大塚家の邸内社に変わりました。
昭和5(1930)年、宗教法人 解脱会の開祖である岡野聖憲師がここを訪れた際、末広稲荷様から強い御神徳を感じて「この稲荷は一族一門の守護神とするのではなく、広く世の人々にその御神徳を分つべき」と話して、それを機に衣・食・住一切を司る稲荷の大祖神として現在の五柱の祭神を天圀蔵五柱五成大神と名付けて、また他の神様も併せてお祀りするようになったと言います。
神社の様子を見ると、このように解脱会という宗教団体(仏教と神道の習合のような教義かと思います)の傘下の様子です(「解脱」というと、とあるカルト宗教の影響で、怖い響きに受け取られそうですが)。
この神社、別名「日限りのいなり」とも呼ばれているそうです。これは、お願いごとを7日間、または21日間として日を限って毎日お願いをし、成就したら必ず五色のお旗をあげるよう決められているそうです。実際、境内には沢山の五色の幟旗が上げられていました!
お気に入り度
★★
雰囲気
★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★★★
神社概要
【御祭神】 天圀蔵五柱五成大神、天日瑞穂造美尊、天豊穀食類姫命、天豊宇気比姫命、天太田地土命、天大市比売尊
【社殿】
【鎮座地】 東京都中野区本町4-30-26
【アクセス】東京メトロ丸ノ内線 新中野駅から徒歩1分
【創建】 文明元年(1469年)
【社格】
【境内社】天五色辨財天、眷属社
【例祭】 初午
【氏子】
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】
【HP】
【SNS】