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宝仙寺
ご本尊は秘仏
御由緒
建立は平安時代の寛治年間と言われる古刹、宝仙寺。開基は源義家で、後三年の役からの凱旋帰京の途中で護持していた不動明王像を安置するための一寺として宝仙寺を建立しました。このご本尊は、東大寺の開山、良弁作とも言われています。
当時は現在の杉並区・阿佐ヶ谷に位置していたそうで、義家が不動明王像を安置しようとしたところ、地主神の稲荷明神が現れ義家に希世の珍、宝中の仙ー頼の珠を与えて「これを以って鎮とすれば武運長久、法灯永く明かである。」と言い終って去ったと言われています。そして、珠に因んで寺号を宝仙寺、言葉に因んで山号を明王山にしたとも言われます。杉並には父である鎮守府将軍 源頼義の縁がありました。前九年の役で奥州に向かう途中、空に八条の白雲が棚引いていたのですが、頼義はこれを源氏の白旗、すなわち吉兆と考えました。そして乱を平定した後、その白雲を見た地に大宮八幡宮を建立したのです。この事から、宝仙寺は、大宮八幡宮の別当寺となっています。
鎌倉時代、大山寺の中興とも言われる高僧 願行上人が当寺を訪ねた時、本尊の不動明王像をご覧になった時、尊像の霊貌が凡常でないと驚き、あやまって穢すことのないように厨子の奥深くに秘蔵され、以後、秘仏となっています。
室町時代、永亨元年(1492年)、中興第一世の聖永法印が寺を阿佐ヶ谷から現在地に寺を移しています。そして江戸時代には、優れた僧を輩出するなどして、歴代将軍からも厚い庇護を受けるようになりました。宝仙寺の僧侶が将軍の御前論議に参加することもあったそうですから、相当なものだったのでしょう。
JR中央線が開通するまで中野は宝仙寺を中核としており境内には中野町役場が置かれていたそうです。
境内の三重塔は浅草寺や池上本門寺の五重塔と並んで江戸六塔に数えられますが、寛永13(1636)年に建立されたものは戦災で焼失してしまい、現在は平成4(1992)年、法起寺の三重塔を模して飛鳥様式で再建されたものとなります。
寺院概要
【山号】 多宝山
【宗派、御本尊】真言宗豊山派/不動明王
【所在地】 東京都中野区中央2-33-3
【アクセス】 都営地下鉄丸ノ内線 中野坂上駅から徒歩4分
【開山】 寛治年間(1087-94)
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】
【HP】 オリジナル
【SNS】 なし
地図
お寺得意のご利益
参拝記
2021.4 初参拝。以前、明徳稲荷神社や白玉稲荷神社に参拝した折りに、門前から少し境内に入ったのですが、なんとなくスルーしていました。
今回は、関東三十六不動と御府内八十八ヶ所の寺院を少しでも巡っておきたいと思って、この日のメインイベントとなりました。
境内は雄大と言いたくなるくらい、広々した景観ですが、威圧感はなく石臼塚の噴水では子どもたちが遊んでいて、微笑ましい感じのするお寺です。
御朱印は本殿右手の寺務所にていただきましたが、とてもきっちりと対応して頂きました。