大田区 御嶽神社

みねのおんたけさん

御由緒

天文四年(1535年)頃から御嶽神社として創祀されたと伝えられています。文政年間(1818~30)には、木曽御嶽山の修験者一山(いっさん)行者によって、この神社が木曽御嶽大神の示現の社であることが明らかにされました。一山は寝食を忘れ神徳の宣揚に勤めたために、村民をはじめ関東一円に崇敬者が激増し、天保二年(1831)に現在の社殿を建立しました。

 天文4(1535)年頃から御嶽神社として創祀されたと言われる大田区北嶺、と言うより東急池上線の御嶽山駅近くの御嶽山神社です。現在は都内としては比較的大きな神社ですが、創建当時は小社、というより祠に近いものだったと言われていますから、現在とは境内の中も外も全く違う風景だったのでしょう。
 江戸時代後期の天保年間、木曾御嶽山で修業をした一山行者がやってきて以来、新者が増えたといいます。一山行者、境内に「一山神社」の祭神「一山霊神」として名を残している山岳宗教の行者で、俗名は治兵衛と言います。生まれは神奈川県の津久井村、埼玉県与野の井原家に婿入りしています。しかし生きとし生けるものすべてを救済する『下化衆生』を本願として、それを叶えようと考えた治兵衛は井原家を出て与野の名刹「円乗院」で僧になりました。こうして仏門の修行すると、次に諸国行脚をし三峯の修験道道場を経て昇仙峡では覚円峯から仙峨の滝で行を行い、木曽駒ヶ岳から木曾御嶽に入って大滝口から清滝へ向かい、柴の庵を結んで不動滝で寒三十日の水行などをしたという何とも大胆な動きをしています。
 そしてある晩、夢に御嶽三社の大神達が現れ『早々下山し世間大衆の苦悩を救え、幸い汝に因縁の地あり、都を去る三里。』と言われたそうです。すると行動力の人、一山行者は御嶽山から江戸へ向かいます。道中、御嶽の神々の教えを広めつつ武州荏原郡嶺村に来て、未だ小さな祠だった御嶽神社を見つけて「これが木曽御嶽の大神から言われたところだ」と、ここに庵を結ぶことを決めます。いきなりやってきた一山行者を嶺村の人たちは『偉い行者』だと崇敬し次第に信者が増え、中には江戸の豪商などもいたため、寄進の額も相当なものとなっていたようです。そしてついに天保2(1831)年、社殿を新築して、以後も教えをひろめていったそうです。嘉永4(1851)年没。
 境内には多くの見どころがあるのも、この神社の特徴だと思います。例えば本殿裏にある「霊神の杜」という神域があり、御嶽教の創始者 渡辺菊太郎の銅像や山岡鉄舟筆の霊神などが置かれています。また本殿は藤原篤意作と言われる浦島太郎や養老乃瀧、司馬温公甕割りなど和漢の故事や物語を描いた繊細な彫刻9面が覆っていて、一つ一つの彫刻を眺めているだけでも時間が簡単に過ぎてしまいます。
 もともと御岳信仰の霊場として発展している神社でしょうか、とても凛とした空気が漂う場です。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★★

神社概要

【御祭神】 国常立命、国狭槌命、豊雲野尊

【社殿】 

【鎮座地】 東京都大田区北嶺町37-20

【アクセス】東急池上線 御嶽山駅から徒歩3分

【創建】 鎌倉時代

【社格】旧村社

【境内社】一山神社、大鳥神社、稲荷神社
他に延命地蔵、杜の霊神水、水行堂、霊神の杜

【例祭】 9月第3土曜日〜日曜日

【氏子地域】 

【ご朱印】 あり

※ 他に嶺の天祖神社、稲荷神社、白山神社も受領可

【ご朱印帳】

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

家内安全、災厄消除、火伏せ

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