
豪徳寺
御由緒
創建は文明12(1480)年。招き猫発祥の地(の一つ)としても有名な豪徳寺。
同名の小田急線の駅よりも、東急世田谷線の宮の坂駅の方が近いので、まずはご一考を。
少し地図を見たり、あるいは近隣を歩くと気づくのが、この付近に「世田谷城」と言うお城があったことです。天正18(1590)年に豊臣秀吉が行った小田原征伐で廃城となりましたが、それまでは主に武蔵吉良氏の居城とされました。その吉良氏のうち、文明12(1480年)年、当時の城主だった吉良政忠が伯母の弘徳院に「弘徳院」と言う称する庵を結んだのが、現在の豪徳寺に繋がります。この当時、宗派は臨済宗だったそうで、天正12年(1584年)に曹洞宗に転じています。
後の招き猫伝説に繋がる彦根藩主 井伊家との繋がりは、寛永10(1633)年、井伊直孝が菩提寺として伽藍を創建し整備したところから始まります。そして寺号の「豪徳寺」は直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」に由来しています。
境内には招き猫が大量に待ち構えている場所があります。これは寺務所で頂けるものですが、願掛けをして置いていくのもあり、持ち帰って成就してからお返しに持ち込んでも良し!です。
私見ですが
世田谷で一番の有名社寺でしょうね。豪徳寺。
小田急線の豪徳寺駅よりも、世田谷線に乗り換えて宮の坂駅まで行ったほうが楽ではあります。が、豪徳寺駅なら、いきなり駅前で招き猫がお出迎えしてくれます。
商店街をぶらぶらしながら、行き帰りのお茶やご飯を楽しみにするなら、豪徳寺駅から少し歩いてお寺に向かいましょう。
お寺に入った瞬間には、古刹・名刹が持っている雰囲気ですが、招福殿に歩みをすすめると一気に招き猫=「招福猫児」の本場感に圧倒されます。特にお堂の脇にある招き猫の数は半端ありません。これを見るだけで「豪徳寺に来たんだなぁ」と思えます。
今戸神社など、他にも「招き猫発祥の地」はありますが、もしお願いしたいことがあれば寺務所で好みのサイズの招福猫児を頂いては如何でしょうか。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★★
寺院概要
【山号】 大谿山
【宗派、御本尊】曹洞宗/釈迦如来
【所在地】 東京都世田谷区豪徳寺2-24-7
【アクセス】 東急世田谷線 宮の坂
小田急線 豪徳寺
【創建】 文明12年(1480)
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】 あり
【HP】 オリジナル
【SNS】 なし
地図
寺院お得意の御利益
ひと足伸ばして
参拝記
豪徳寺と言えば、小田急線の駅を思い浮かべる方も多いと思いますが、地名はあくまで大谿山 豪徳寺から由来しています。そして、この豪徳寺が有名なのは「招き猫発祥の地」ですね。駅前にもキッチリ、招き猫が鎮座しています。
さて、この豪徳寺の由緒ですが、この付近、吉良氏の居城だった世田谷城の主要部だったと言われています。実際、今でも「世田谷城址公園」として緑地が残っています。この吉良氏、そして世田谷城と言えば、世田谷七沢八八幡でも有名な、そして元は足利家の流れにあり、後には「高家」吉良家…そう忠臣蔵で討ち取られてしまう吉良上野介も含まれる名家です。
と、実際、この豪徳寺が建立されたのは小田原攻めから約100年遡る1480(文明12)年と言われています。その頃は弘徳院と呼ばれていたそうです。で、この後、約150年、招き猫伝説が始まったと思われます。
時代は、豊臣から徳川に変わり、そして三代将軍家光の頃、寛永10年(1633年)、親藩 彦根城主 井伊直孝が菩提寺として豪徳寺の伽藍整備を行います。そして、寺号も直孝の戒名「久昌院殿”豪徳”天英居士」から豪徳寺となったそうです。
この流れに招き猫?ですが、この井伊直孝が帰途、寺の前にいた猫に招き入れられ、そこの住職から説法を聞いている間に激しい雷雨が襲います。直孝は猫の招きで雨から逃れられ、寺は井伊家菩提寺として反映し、招き猫は「招福猫児」と称し、そして眷属を招福猫児とした招福観世音菩薩を祀る招猫殿を配置しています。寺務所で分けていただける招福猫児の人形は、この殿の脇へ成就の御礼、あるいは祈願のため安置できます。
なお、この豪徳寺、井伊家菩提寺ですので、歴代藩主の墓所も置かれています。その中でも名高いのが安政の大獄の「井伊直弼」でしょう。最寄りの宮の坂駅から3駅で松陰神社、安政の大獄で獄死した吉田松陰が眠っているのは何かの縁…なのでしょうか?