駒繋神社

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御由緒

伝として、平安時代後期の1056(天喜4)年、源義家公が父頼義公と共に前九年の役に向う道中、ここを通過する際に子の神を祀る社に武運を祈ったそうです。この伝によれば、前九年の役より前には、ここに出雲大社の御分霊を勧請した神社が在ったことになります。
 時代が下って文治5(1189)年の7月、源頼朝公が奥州 平泉の藤原泰衡征伐のため、大軍を率いて鎌倉から出発すると、かつて高祖父 義家公がここの子の神に参拝したことをから、下馬して駒(馬)を境内にあった松に繫いで戦勝を祈願したそうです。これに由来して駒繫神社と呼ばれるようになり、明治に入って登記する際、正式に「駒繫神社」と号するようになりました。
 江戸時代の新編武蔵風土記でも下馬引澤の鎮守として子の神の事が書かれています。また文化12(1815)年の「世田谷紀行」では「こは、下馬牽澤村に有りていと古き世の奥つ城と見ゆ」と書かれ、下を流れる蛇崩川を掘りに見立て古城のような雰囲気があったと書かれています。この風景は、今でも(だいぶ失われてはいるのでしょうが)、なにやら古墳や城跡のような景色に出会うことができます。
 さて、駒繋の謂れとなる松の木は現在、4代目を育成中と言うことで、境内を探しても頼朝気分にはなれそうもありません。
 また、この鎮座地は、上にも書いたように下馬引沢(牽澤)、現在は下馬ですが、この地名の由来として蛇崩川を渡ろうとした頼朝の軍勢の中で、一頭の芦毛馬が暴れ、沢の深みに落ち、引き上げようとする努力の甲斐無く死んでしまったそうです。この馬を弔うため「芦毛塚」を作ったと言われています。この事から、頼朝は、この沢を渡る時には下馬をして馬を牽いて渡るよう厳命したと言うことによる。と言われています。蛇崩の名前の通り、元々、砂利質で崩れやすい沢地だったので鎌倉から奥州への長い旅路を考えれば懸命な命令ですし、それが今でも一部だけが残っているわけですが、歴史を垣間見ることができるのは嬉しいことです。この芦毛塚、神社から10分ぐらいのところにありますから、合わせて訪問しても良いかと思います。

私見ですが

 祭礼では、宮司さんが白馬に跨って登場するという事で観音寺の和尚さんから「一度は、いきなさいな」と言われているのですが、どうも都合が合わず、例祭の日にはお参りできていません。
 それでも普段から「お堀」を跨ぐ赤い擬宝珠の橋を渡ってお参りすると、なんだか嬉しくなってきます。

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★★

神社概要

【御祭神】 大国主命

【社殿】

【鎮座地】 東京都世田谷区下馬4-27-26

【アクセス】 東急バス下馬1丁目、駒繫神社

東急東横線 祐天寺

三軒茶屋

【創建】 天喜4年4月(1056)以前

【社格】

【境内社】 招魂社、御嶽神社、榛名神社、三峯神社、稲荷社

【例祭】 9月第3日曜日

【氏子】 下馬

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 なし

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

安産、子育て、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、縁結び

ひと足伸ばして