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教学院 最勝寺(目青不動)
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御由緒
目黒の目黒不動、目白の目白不動など、五色不動の一尊が祀られている教学院。こちらの色は青。目青不動と呼ばれています。但し、慈覚大師 円仁作と言われるお不動様は秘仏とされ、山門を入って正面の閻王殿で私達が目にすることができるのは御前立ちです。
慈覚大師は目黒で目黒不動を彫った事でも知られており、目青・目黒の二尊が慈覚大師作ということになりますね。
お寺は慶長9(1604)年に玄応大和尚が開基で江戸城、今の皇居の紅葉山に建立されました。その後、太田道灌が康正3(1457)年に江戸城を築くと麹町貝塚に移転し、更に現在の青山霊園付近の赤坂三分坂へ移転したそうです。延享年間(1744年〜1748年)と宝暦年間(1751年〜1764年)と2度も火災に遭って様々な史料を失い、江戸時代の詳細は定かではないそうです。ただ元禄年間(1688年〜1704年)までは、麹町山王にあった成琳寺の末寺でしたが、貞享4(1687)年に小田原城主 大久保加賀守の菩提寺となり、これによって一気に寺運が隆盛になります。そして、その結果、東叡山 輪王寺の直末寺となり、更には天台宗の総本山である比叡山 延暦寺の末寺となりました。その後、時代は明治に入り、太政官布告により明治42年〜44年(1909年〜1911年)に3年を掛けて現在の世田谷区太子堂へと移転してきました。
もう一度、お不動様へと、そして御本尊に話を振ります。ご本尊は、平安時代の高僧 恵心僧都作と言われる阿弥陀如来で、山門を入って突き当りの閻王殿(お不動様のお堂)を左に見る本堂に安置されています。そして、この本堂には聖徳太子の作といわれる聖観音像も安置されています。現在の所在地は世田谷区太子堂なのですが、これは円泉寺にある太子堂を指していて、奇妙な因縁を感じさせます。
そして、不動堂の不動明王像は元々、麻布の観行寺の本尊だったのですが、観行寺が廃寺になったため、まだ青山にあった教学院へと移され、教学院の世田谷移転に伴って現在に至っています。
ちなみに、お不動様がメインのお堂なら不動堂と呼ばれるところですが、こちらは閻王殿です。これは右脇侍に閻魔大王、左脇侍として奪衣婆が安置されており、元々「青山のお閻魔さま」で有名だった事の名残ではないかと思います。
私見ですが
目青不動、江戸五色不動で有名なだけに拝んでみたいところですが、私達は御前立のお不動様しか見ることができません。つまり、秘仏とされているため、御前立ちを拝むことになります。しかし、この御前立ちも立派なものですし、恐らくは秘仏をスケッチしたと思われる絵がお堂の正面に置かれていますので、この2つのお不動様を通じて、じっくりとお願いしてみましょう。
お気に入り度
★★★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★★★
寺院概要
【山号】 竹園山
【宗派、御本尊】天台宗/阿弥陀如来
【所在地】 東京都世田谷区太子堂4-15-1
【アクセス】 東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋駅から徒歩2分
東急世田谷線 西太子堂駅から徒歩3分
【創建】 慶長9年(1604)
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】 なし
【HP】 なし
【SNS】 なし