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龍雲寺
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御由緒
「野沢龍雲寺」といえば、環状七号線の交差点やバスの停留所に名前が使われている、世田谷区野沢のランドマーク的存在です。
もともとは盤珪大和尚の法嗣、つまりお弟子さんである節外大和尚が、丸亀藩藩主の京極氏や旗本、最近では女優の樹木希林さんの墓所がある麻布 光林寺から隠居のため、世田谷区の旭小学校敷地内にあたる場所に元禄十二年、寺領三十町歩を有する大澤山龍雲寺を建立した事に始まります。
本尊は盤珪国師作と言われる聖観世音菩薩で、二世 霊源和尚の頃、諸堂伽藍が完備、禅宗の寺院として様相が整ったようです。しかし「安政の大地震」と言われる安政二(1855)年の震災によって大きな被害を受けてしまいます。崩れ落ちた伽藍は復旧が不可能とされ、別院のあった環状七号線沿線にあたる野澤三ノ四十番地に移転しせざるを得なくなったようです。
ここからは、無住の状況から期待されるような復興ははかどらず、かろうじて残されていた記録も紛失するという荒廃の時期を迎えます。
荒廃期を脱するのは、江戸も終わり、明治三十年頃に入ってからで、九世 禅海和尚などにより徐々に復旧が進み、禅寺の体裁を再び整えてはきたものの、往年の龍雲寺伽藍の復興は歴代住職の悲願のままとなっていました。
ようやく、十世 宗源和尚の代になって復興を決意され、現在地に約2,000坪の土地を確保、そこに松や公孫樹等を植え育て、そこから三十年を経過した昭和38年に鉄筋コンクリート平屋造りの本堂をはじめ、山門、鐘楼、庫裡の諸堂を起工するに至りました。
現在でも、まだまだ古めかしい感じはなく、明るい境内なのです。
私見ですが
環七のランドマーク的になっている「野沢龍雲寺」の交差点。そこから少しあるいて初めてお寺が見えてきます。すぐ近くには野沢稲荷神社もあり、また、通りを三軒茶屋方面にまっすぐに歩くと世田谷観音の交差点にぶつかります。どちらも散歩がてらに参拝する私にとっての聖域ですし、そのどちらにも便利な龍雲寺さんも素敵な聖域です。
お気に入り度
★★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★
寺院概要
【山号/院号】 大澤山/-
【宗派、御本尊】臨済宗妙心寺派/聖観世音菩薩
【所在地】 東京都世田谷区野沢3-38-1
【アクセス】
東急東横線 学芸大学駅から徒歩15分
東急田園都市線 駒沢大学駅から徒歩15分
他、渋谷・新代田・目黒駅などからバスあり
【開山】 元禄十二(1699)年
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】あり
【HP】
【SNS】 なし
地図
寺院お得意の御利益
ひと足伸ばして
ギャラリー
参拝記
野沢龍雲寺。いつも聞いている名前だし、おおよその場所は把握している。そんな感じで、実は参拝どころか宗派も知らずに過ごしていました。
そんな龍雲寺に環七から地図通りに歩いていくと、立派な山門が目に入ります。何となくの雰囲気は北沢の森厳寺に似ているような。
先行して入った外国人のファミリーの喧騒を聞きながら、境内を見渡します。すると思った以上に広々とした雰囲気です。実際、広いんです。が、それ以上に受ける印象が広いんですね。山門のほぼ正面に本堂、左手には稲荷社と三峯・榛名社が配置されています。
本殿、そしてお社へのお参りを終えて、御朱印を頂きに寺務所へ。実際には植え込みで仕切られた細道の先にある寺務所は、山門からは見えない場所にあるので、何となく歩きつつ見つけた!のですが。
開け放たれた引き戸の奥に人の姿がなかったため、インターフォンでお呼びして御朱印を依頼。その待ち時間に壁などに目をやると「実篤」と書かれた書があったりして、歴史を感じさせてくれます。
コロナ禍で中止していた御朱印集めですが、久々に頂いたものが龍雲寺さんなのもなにかのご縁かも。と思いつつ辞去。