富士道 神道扶桑教 太祠

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御由緒

 「富士講」。富士塚に興味の有る方にはお馴染みですが、普段、滅多に実際の富士講の方とお会いする機会はありませんね。この扶桑教 太祠は教派神道に位置づけられる宗派ですが、江戸時代からの富士講の流れを汲んだ今では貴重な存在です。
 と言うのも、富士講を始めとした修験道の多くは神仏習合の色彩が強く、明治維新後の神仏分離の中で修験道の講の多くが廃止あるいは教派神道として生き残るしか無く、故に衰退の方向に動いたからです。
 富士講は、富士宮市の富士山本宮浅間大社や富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社に足跡が見られる藤原角行が祖となる富士山信仰の修験道です。この角行さんは、とても厳しい修行を行い、元亀3(1572)年に富士山信仰を確立したことが様々な書物に残されていますが、扶桑教でも開祖として角行を位置づけています。
 そして幕末の神道学者 平田篤胤の弟子だった宍野半が明治に入って各地に散在していた富士講を取りまとめ自らを教祖 初代館長として打ち立てたのが扶桑教です。
 各地の富士講は富士山への登山巡礼を行うことを重要視していましたが、これに行けない人々のため、富士山を模して作ったのが富士塚です。これも時代と共に減る一方ですが、この太祠には「平成の富士塚」が作られています。また、富士講とは縁の深い御師の住宅(宿坊)も富士講の衰退と共に数を減らしましたが、世界文化遺産の構成資産とされた事で保存が進むかと思います。
 江戸の庶民が愛した「富士山」の姿。現実には殆ど変わっていませんが、今はスポーツや趣味としての登山を目的とする山になっていますが、信仰の対象としての富士山の姿を垣間見ることのできる貴重なお社です。

私見ですが

 富士吉田の北口本宮冨士浅間神社には何度も参拝をし、その度に隣に建つ扶桑教の建物が気になっていました。御朱印集めを始めた頃にも数回お伺いをしましたが、どなたも居なかった様子で「普段はどこで活動しているんだろ?」と首をかしげながら帰宅していたのです。
 ところが忍野八海 忍草の浅間神社で宮司さんから「世田谷に富士講が残っているから」と聞いて灯台下暗し!しかも松原駅からすぐにあるとは驚きでした。御朱印を頂けると聞いて早速参拝すると、普段はこちらで活動をされていて火祭りなどがあると富士吉田で活動されているとのこと。とても朗らかに対応を頂いたのが深く記憶に刻み込まれています。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★★

神社概要

【御祭神】 天之御中主大神高皇産霊大神神皇霊大神

【社殿】

【鎮座地】 東京都世田谷区松原1-7-20

【アクセス】 京王線 明大前から徒歩3分

【創建】 明治6年(1873)

【社格】

【境内社】松原富士、龍神宮

【例祭】

【氏子】

【ご朱印】 あり

※  2種あり

【ご朱印帳】 なし

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

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