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等々力多摩川神社
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御由緒
室町時代後期、文亀年間(1501年~1504年)に世田谷城主 吉良頼康が勧請したものと伝えられます。別当寺は直ぐ近くにある満願寺だったそうです。
従来、熊野神社と号し「おくまんさま」と親しみを込めて呼ばれた神社でしたが、字上原にあった伊勢宮、諏訪神社と字小山根にあった御嶽社を合祀して玉川神社と変更しています。
吉良頼康と言えば「世田谷七沢八八幡」にも関連して八幡信仰の人と思われます。しかし、鎌倉時代、山伏や先達が全国的に熊野神社が勧請していく中で、武士の信仰を集めるようになり、吉良頼康もトレンドを捉える形で熊野神社を創立したとも言われています。
境内には巨大な「豊田正冶翁頌徳碑」の石碑がありますが、これは旧玉川村村長の記念碑で、翁は地元の名家に生まれ、村長として郷土開発事業を時価数十億と言う巨費、そして32年の歳月をかけ完成させた人物です。
私見ですが
そんなに度々参拝できているわけではありませんが、行く度にたいてい30分はボォーっと過ごす神社です。神社全体がほんわかした空気に包まれていて、なんとなく我が家に帰ってきたような気分に近いリラックスができるんですよね。
電車では、ちょっと駅から遠いのですが、目の前には東急バスのバス停もありますから、もし、ボォーっとしたくなったら、是非、バスに乗って参拝に行ってみてください。
お気に入り度
★★★★★
雰囲気
★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★
神社概要
【社殿】
【鎮座地】 東京都世田谷区等々力3-27-7
【アクセス】 東急バス 玉川神社前
東急大井町線 等々力駅
【創建】 文亀年間(1501年~1504年)
【社格】 旧村社
【境内社】 大国社、稲荷社、三峯社、天満社、祓戸社、八幡社
【例祭】 敬老の日の前日
【氏子】 等々力
【ご朱印】 あり
※ 兼務社のご朱印も拝受可能
【ご朱印帳】 なし
【HP】 東京神社庁
【SNS】 なし