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京極稲荷神社
御由緒
四国丸山藩の藩主 京極家が構えた下屋敷は2ヵ所のうち一つ、戸越屋敷と呼ばれた跡地の一部が京極稲荷神社の境内です。
この近隣で取れた農産品が港区にあった上屋敷へと運ばれた物流拠点の役割を担っていたため、地元との深い結び付きがあったのでしょう。お屋敷がなくなって以後も、境内社だった稲荷神社が地元有志によって守られています。当時は敷地面積8,400坪という広大な景観はすでにありませんが、毎年2月の二の午の日には、欠かさず祭礼が行われているそうです。
また、境内には大正時代に造られた「後地(あとち)大神輿」が保管されています。戦時中、昭和20年5月23日の大空襲により、この付近も焼け野原となってしまい、京極稲荷神社の社殿なども全勝したそうです。しかし、この大神輿だけは焼けずに残ったそうです。
神社概要
【御祭神】 豊受大神
【社殿】
【鎮座地】 東京都品川区小山2-15
【アクセス】東急池上線 戸越銀座駅から徒歩11分
東急目黒線 武蔵小山駅から徒歩7分
【創建】 寛永12年(1635)
【社格】
【境内社】 なし
【例祭】
【氏子】
【ご朱印】
※ 特記なし
【ご朱印帳】 なし
【HP】 なし
【SNS】
地図
神社お得意のご利益
ひと足伸ばして
ギャラリー
参拝記
「お稲荷さんだけど、立派な名前だからそれなりの規模かな?御朱印あるかな?」と勝手に想像しながら、歩いていました。Google Mapは、そろそろ到着のタイミングを知らせているので、目は玉垣や木立を探します。が、見つかりません。ようやく見えてみたのが幟旗でした。
「あれ?」と思ったら、道に接するように社殿があります。
そんな小さな小さな神社です。それでも、由緒書にあるように丸亀藩藩主の邸内社であり、廃藩置県を乗り越えた歴史のある神社なんですね。何も考えずに歩いていたら、絶対に見落としていた自信があるくらいなのですが、知ってみると、参拝してみて良かったと思えるほど、この地域の歴史を知ることができました。