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戸越 八幡神社

江戸越えのお宮さま

御由緒

 古くから「江戸越えのお宮さま」として親しまれている戸越八幡神社。実は、この愛称が「戸越」という地名の由来になっているのはご存知でしたか?
 戸越と言う地名が記録に現れたのは永禄2(1559)年の小田原衆所領役帳にだそうです。そして江戸時代まで「とごえ」と発音をしていたと言われます。そして、この「戸越」は「江戸越」が略され、訛った結果と言われているのです。では江戸越えとは?となりますが、どうやら旅や移動する人にとって、この戸越が江戸という都市を離れる境界線と考えられていたと言う話です。この地が江戸越えの村だったことに由来するという。この江戸越えが「戸越」になったといわれている。
そして、この地名の起こりといわれている古い歌
「江戸越えて 清水の上の成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし」
を刻んだ石碑は戸越八幡神社で見ることができます。

 さて、こんどは、この歌の中にある「成就庵」を少し解きほぐしてみます。直ぐ近くには「成就院 行慶寺」というお寺があり、また後述するように最初にお祀りをした「御神体」の関係から議論はあるようですが、ここでは戸越八幡神社を示しているとして夏季進めます。
 大永6(1526)年、行永法師という諸国行脚をしていた僧が、戸越村にあった藪清水池で誉田別命の御神体が現れたのを発見したこと、そしてその御神体のために草庵を作り、京都・石清水八幡宮から勧請して一緒にお祀りしたのが神社の創建時の経緯といわれているからです。そして、この庵では祈願した人の願い事がたちまちに叶うといわれたので「成就庵」と呼ばれるようになったと言われています。
 その後しばらくした文禄元年(1593年、別当寺 行慶寺の開山 念誉が成就庵の境内に八幡神社を建立してご神体を阿弥陀如来と共に祀るようになり、更に元禄元年(1688年)現在地に遷座されました。おそらく明治時代の神仏分離令で阿弥陀如来は八幡神社から行慶寺に移されたと思われます。なお、行慶寺ご本尊の阿弥陀如来像は貞享元年(1684年)に行慶寺 第六世 近誉円慶上人の代に安置されたものとしています。
 また、成就庵が建立された藪清水の池は俗称として「一本杉」と呼ばれていたそうで、現在の東京都品川区平塚3-4-21が当たるようです。そして、現在もここに一本杉元八幡神社がひっそりと佇んでいます。

 さて現在見られるご社殿は、武蔵風土記稿で書かれた様相と大差のないところから建立は2百数十年前と考えられ、安政2年(1855)年に改築された欅造入母屋造となります。

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

神社概要

【御祭神】 誉田別命

【社殿】欅造入母屋造

【鎮座地】 東京都品川区戸越2-6-23

【アクセス】
都営地下鉄 戸越駅から徒歩8分
東急池上線 戸越銀座駅から徒歩10分
東急大井町線 戸越公園駅から徒歩10分

【創建】 大永6年(1526年)

【社格】 旧村社

【境内社】 

【例祭】 9月第二土曜日〜日曜日

【氏子】小山台1丁目〜2丁目、小山1丁目〜2丁目、小山3丁目一部、
荏原1丁目〜2丁目、平塚1丁目〜3丁目、戸越1丁目〜4丁目、
豊町1丁目〜2丁目、西品川1丁目一部

【ご朱印】 あり

※  季節限定など多種

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

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