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東山稲荷神社

御由緒

 平安時代、清和天皇の皇孫である源経基が土地を治めていました延長5(927)年、初午の日に京都稲荷山より勧請したのが、東山稲荷神社の創建だと言われています。
 境内に藤の大木があったことから藤森稲荷や藤稲荷神社、また転じて富士稲荷神社とも呼ばれていたようです。源経基は経基流清和源氏の始祖であり、源家一族の守神として大変厚く信仰されます。また、平将門が反逆を企てた時には経基はいち早く報告を上げますが、これに対する尋ねに将門たちが申し開きをし、逆に源経基が左門府に拘禁されてしまいます。実は、将門の企みは東山稲荷の大神様の神託を受けた源経基が調査した事だったのだとも言われています。
 後に将門が新皇を僭称し将門の乱を起こした事から、晴れて放免され、更には報告が功労と見なされて従五位下に叙せられる事になります。そして将門の乱末期には征夷大将軍の副官として取り立てられてもいるのです。それ以来東山稲荷神社は源氏の氏神様として一族で崇敬することとしたと伝えられます。
 時代が下ると源氏からの引き続きでの武家だけではなく庶民からの信仰も集め「知恵と勇気」の福徳の神様、そして農商業、芸能方面と広く江戸市中から関東一円へと広がったそうです。
 現在は新宿区立の「おとめ山公園」の下に位置する形で鎮座していますが、このおとめ山公園は江戸時代から「おとめ山」と呼ばれる将軍家の狩猟地でした。このため「立ち入り禁止」の意味で御留山と書き表していたそうです。なので「乙女山」ではありません。
 徳川将軍家から明治維新で治世が変わると、御留山と周辺は近衛家の所有に変わります。そして大正初期にはおとめ山公園を含む西側半分が相馬家の住まいとなり、日本初の日本人初の公園デザイナーとも言われる長岡安平が池泉を中心とした回遊式庭園を作庭して、現在も一部は公園に残こされています。
 しかし、戦後には大蔵省の所有となったのですが、徐々に荒廃してしまうのです。これを地元の人々が大蔵省に陳情し、公園として整備されることになりました。
 都会の真ん中にあってホタルも見られる湧水の池と、1,100年以上の歴史を持つ神社は、知恵と勇気の象徴なのかもしれません。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★

神社概要

【御祭神】 宇伽之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神

【社殿】

【鎮座地】 東京都新宿区下落合2-10-5

【アクセス】 JR山手線、西武新宿線、地下鉄東西線 高田馬場駅から徒歩9分
       西武新宿線 下落合駅から徒歩5分
       JR山手線 目白駅から徒歩11分

【創建】 延長5(927)年

【社格】

【境内社】

【例祭】 5月8日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 新宿下落合 氷川神社にて受領可

【ご朱印帳】 なし

【HP】 

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

知恵と勇気、農商業、芸能

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 2021.3初参拝。
Google Mapを眺めながら、てっきりおとめ山公園内に佇む祠を想像しながらの行脚となりました。
下落合側から徐々におとめ山の坂道に差し掛かると大きめの社号碑が目に入ります。でも、そこは社号碑しかありません。「あれ?どっかに遷座した跡地??」などと思いつつ、その碑の周りを一心に草取りしている白装束の方がいらっしゃったので神社の位置を伺うことに。
 「すみません。お宮は公園の中に行けば判りますか?」
 「いえ、すぐ左に曲がって突き当たれば階段がありますので」
草むしりから振り返って返事をくださったのは、以前、新宿下落合 氷川神社で御朱印を頂いた若い神職様のようです。おそらく本務社として管理されている仕事のうちの一つかもしれないな。と思い、教えられた通りの道順で境内に足を踏み入れると…。小さな祠どころか、ちょっとした山の神社のような風格。素敵な神社です!