目次
顕性寺
御由緒
御府内八十八ヶ所霊場の四十四番札所の顕性寺は慶長16(1611)年に、法印(弘法大師に代わって重要な法会や儀式の導師を務める役職)の賢秀が開山となって牛込御門外に建立されました。しかしその後、外濠堀削のための御用地として召上げられ、現在地へと移転したそうです。
享保10(1725)年2月、青山で出火した火事により伽藍が焼失してしまい、文政年間に書かれた文書では「大建築に至らない」とされている事から、約100年の間、仮堂の状態だったと想像されます。
現在は鉄筋コンクリートのお堂となっていて、恐らく2階が本堂かと思います。
寺宝に「俎大師(まないただいし)」というものがあります。これは弘法大師が土佐国高岡郡に巡錫した時に宿となった家へその礼としてまな板に「南無阿弥陀仏」の文字を彫ったものだと言います。そんな高知県の宝物がここに修められるには紆余曲折があったようです。まず幕末、空海が泊まった家の末裔が大坂へ移住します。そして更に、明治に入ると大阪から東京へとまな板を持って移住したのだそうです。続いた転居の影響もあったのでしょう、一家は生活苦に陥ります。そこで家宝のまな板を抵当に料亭「鳥八十」から5両を借り請けます。しかし、借金を返すことができなかったのでしょう、まな板は鳥八十の所有となってしまいます。そして1934年(昭和9年)、弘法大師千百年遠忌の際、鳥八十の主の娘で落語家の五代目古今亭今輔の母となった女性から顕性寺に寄進されたそうです。
私見ですが
四谷三丁目駅から御府内八十八ヶ所巡り(の一部)をしようと思うと、多分、最初の参拝先になるのが顕性寺ではないでしょうか。特に案内板等は目に入らなかったのですが、本堂かな?と思われた2階へ外階段で上がり、そこから1階の寺務所で御朱印をお願いしました。
お気に入り度
★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★★
寺院概要
【山号/院号】 金剛山/蓮華院
【宗派、御本尊】真言宗豊山派/大日如来
【所在地】 東京都新宿区若葉2-8-3
【アクセス】東京メトロ 丸ノ内線 四谷三丁目駅から徒歩6分
【開山】 慶長16(1611)年
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】
【HP】
【SNS】 なし