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目次
御由緒
多武峯内藤神社と書いて「とおのみねないとうじんじゃ」と読みます。元は、ここに中屋敷を持っていた内藤氏の邸内社だったそうです。御祭神は、その内藤氏の祖となる藤原鎌足公、そして相殿として内藤氏の氏神である春日大社から武甕槌命、経津主神、天兒屋根神、姫神が勧請され、また更に内藤家歴代祖霊が祀られています。
内藤氏の中屋敷は、現在の新宿御苑に相当する広い土地を有していました。これは、徳川家康が江戸入府の際、その家康の浜松時代に小姓を務め、信任も厚かった内藤清成が先陣となって鉄砲隊を率いていました。そして、家康から今の新宿御苑付近を指さされ「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と言われます。これを聞いた清成は愛馬に跨り、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を駆け抜けたと言います。流石にこれでは広すぎたのでしょうか、土地は新宿御苑のみとなりましたが…と言っても、途方も無い広さです。これを拝領したものの愛馬は疲労困憊。結果、命を落としてしまいます。この供養のため、大樫の根本に懇ろに葬り駿馬塚と名付けられました。
時代が移り明治になり、明治5(1872)年9月に内藤家の中屋敷は官有地となり、明治16(1883)年9月、神社は旧中屋敷の新宿御苑の中から現在地へと遷座しています。そして、それに合わせて碑はその後、明治5年9月に現在地に移されたと東京都新宿区教育委員会ではしています。
社号は元々、「多武峯神社」でしたが、昭和42(1967)年に「多武峯内藤神社」へと改められています。
私見ですが
この近辺は比較的土地勘があったつもりが、全くの盲点となっていました。Google Map様様で立派な神社と出会うことができました。
神社はそれほど大きくはないものの、立派な社叢の中で静かに佇んでおり、白馬の像が置かれた駿馬堂があり、江戸幕府開闢直前から新宿の変化を見守っているんだなぁと思わずにいられない素敵な神社です。
御朱印は社務所で確認したところ「やっていません」との事でした(2022.5)。
お気に入り度
★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★
神社概要
【御祭神】 藤原鎌足公、相殿:武甕槌命・経津主神・天兒屋根神・姫神・内藤家歴代祖霊
【社殿】
【鎮座地】 東京都新宿区内藤町1-8
【アクセス】 東京メトロ 丸ノ内線 四谷三丁目駅から徒歩10分
【創建】 慶長7(1602)年
【社格】無格社
【境内社】駿馬堂、稲荷神社
【例祭】
【氏子】
【ご朱印】 なし
※ 特記なし
【ご朱印帳】 なし
【HP】
【SNS】 なし