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合力稲荷神社

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御由緒

室町時代の永禄年間に建立された合力稲荷神社。名前はイカツいですが、とてもこじんまりとした街なかの神社です。
神社境内には丁寧に書かれた由緒書きがあり、それを要約すると、御祭神は保食神で、一般に見られる宇迦之御魂神や豊川稲荷明神とは異なるところがユニークです。また御祭神として保食神とある一方で、「稲荷本地仏 十一面観音」とあり、御神体は十一面観音像と想像させます。
また当時は田畑地だった頃の谷中村の人々によって郷中の鎮守として奉斎、建立されたとあります。また、そういった農業色が見られる記述が寛文3(1663)年の馬頭観音の合祀です。このきっかけは4代将軍 家綱公が日光へ参拝する折り、乗っていた名馬「荒波」が千住で死んでしまいます。これを弔うため、ここで荒波馬頭として奉られたと書かれています。ここに葬ったとされていないことから、また千住とも若干の距離があることから、あくまでも慰霊として奉られ、また農耕を見守ってもらう為の合祀かと考えます。
境内に入ると、鳥居の足元に「三ノ宮卯之助の力石」が置かれています。これも丁寧な説明板がありますが、意外なのは、私の想像する力石は屈強な男子が両手で巨石を抱いて渾身の力で持ち上げる姿だったのです。が、説明板では「力比べや曲持ちを行う時に用いられた」とあります。きょ、曲持ち!?更に江戸後期にはそれ専門の人なのでしょう「職業的な力持ち力士による興行」とあり、単なる力自慢ではなく、エンターテインメント要素が強くなっていった様子が伺えます。重さは書かれていませんが、奥行き48cm、幅80cm、高さ93cmとある事から、相当な重さと思われます。が、力石にある三ノ宮卯之助は当時、一座を結成し諸国巡業をし、各地に名前を残している有名人だったとあり、得意技は仰向けになって力石を足で差し回したり、馬に騎乗した人を載せた舟ごと持ち上げる「人馬舟持ち上げ」などと言われています。そして遂には11代将軍 家斉公の前でも、その芸を披露したと言うのですから、そんじょそこらの(と言ってはいけませんが)、由緒正しき力石と言えるでしょう。
ただ、「合力」の社号由来ついては、何の説明もなかったのが残念ですが、この卯之助が芸を見せた記念と考えておきたいと思います。

私見ですが

奥行きは、隣接する住宅と着いているのかと思うほどで、もしかしたら邸内社かな?とも思える神社です。また卯之助の力石の他、鳥居に入る前にあるカーブミラーの下にも力石独特の丸く大きな石が置かれていた(放置されていた??)ので、もしかしたら、卯之助一座の置き土産なのかもしれませんね。
卯之助にあやかって丈夫でパワフルになりたい人にはうってつけの小さなパワースポットかも知れません。

お気に入り度
 ★★
雰囲気
 ★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★

概要

【主祭神】保食神

【社殿】

【鎮座地】 東京都台東区浅草6-42

【アクセス】 京成線、東京メトロ銀座線 浅草駅から徒歩15分
       東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅から徒歩19分

【創建】 永禄年間(1558年〜1570年) ※神社での掲示では1556年〜

【社格】

【境内社】

【例祭】

【氏子】

【ご朱印】

※ 特記なし

【ご朱印帳】

【HP】なし

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

ひと足伸ばして