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小野照崎神社

御由緒

 仁寿2年(852)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わります。これは、御東下の際に住まわれたのが上野照崎だったことに由来しています。現在地への移転は、寛永年間(1624-1643)の寛永寺建立での幕府から下された移転命令によるものです。江戸末期には、回向院から菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀った事から「江戸二十五天神」の一つにも数えられています。樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」のとして登場しています。
 主祭神の小野篁公は、百人一首では「参議篁」としてお馴染みの人物です。当然、和歌には通じた人物ですが、その他にも律令制や法学にも通じ、遣唐副使にもなっています。
 この「頭脳」は父であり嵯峨天皇の侍読(天皇に仕え学問を教授する学者)だった小野岑守のち筋もあるのでしょう。しかし、若い頃には嵯峨天皇から弓馬の士になってしまったと嘆かれるほど、学問に興味を示さずに過ごしています。しかし、このお嘆きから一念発起したのでしょうか、先程書いたように政治、そして文化の人となっているのです。
 一方で、ただ従順な学者と言う雰囲気ではありません。遣唐副使になっていながら、実際には2度の渡航に失敗しています。そして3回目、遣唐大使・藤原常嗣の乗船予定だった船に漏水が見つかり、篁が乗る予定だった船に乗り込みます。篁から見れば横取りですね。憤慨した篁は強く抗議しますが、遣唐使は篁を残し出航してしまいます。更に怒った篁は遣唐使、更には朝廷をも批判するような「西道謡」という漢詩を作ります。これが嵯峨天皇の怒りを買ってしまい、官位剥奪、そして隠岐国への流刑とされてしまうのです。後に刑は赦され、官位も戻されますが、この流刑に向かう途中には「謫行吟」と言う漢詩も読んでいます。西道謡と共に現存していないようですが、とても惜しい気がします。
 この反骨の篁ですが、神社のご利益としては漢詩など文化的な側面で芸能のご利益が強いようです。その一例が有名な「寅さん」の逸話でしょうか。
 まだ売れていなかった頃の渥美清が禁煙を誓いつつ祈願したところ、寅さんの役がついたとか…。もしかしたら、篁が若い頃に勉学に打ち込んだように、ガラッと方向性を変える時の後押しをしてくれるのかもしれませんね。

私見ですが

好きなものなどを止める「断ち物」で願掛け。渥美清さんが寅さん役を射止めた事で、この神社で断ち物をするとご利益を頂けると多くの逸話や噂話が出ていますね。
上でも書いたように小野篁ご自身が文化、芸術に秀でた人物でしたから、特に芸能・芸術で世に出たい人には有り難い神社な気がしていますし、大切にしていただきたい神社です。
また神社自体も富士塚など歴史的遺構がある中で、期間限定の御朱印など新しい試みを積極的に取り入れられているので、近くに行く機会があれば、敷居の高さを感じることなくお参りができる。そんな和やかな雰囲気の神社ですよ。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

神社概要

【主祭神】小野篁公、菅原道真公

【社殿】

【鎮座地】 東京都台東区下谷2-13-14

【アクセス】 東京メトロ 日比谷線 入谷駅から徒歩3分
       JR山手線 鶯谷駅から徒歩7分

【創建】 852年(仁寿2年)

【社格】旧村社

【境内社】織姫・稲荷神社、富士浅間神社(下谷坂本富士)、御嶽・三峰・琴平神社、庚申塚(日本三大庚申の一つ)

【例祭】 5月19日に近い土-日曜日

【氏子】 

【ご朱印】 あり

※ 限定御朱印等あり

【ご朱印帳】 あり

【HP】オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 実は寅さんファンのワタシ。小野照崎神社のご利益については都市伝説的にですが、知っていました。そこからパワースポット的にも扱われ、この日も多くの参拝客で賑わっていました。
 実際には、庚申塚や富士塚など、境内社以外にも見どころの多い、良い意味でアミューズメント的な神社です。時間をかけて一つ一つをじっくり見ていると、それだけ多くの発見がありそう。ただ…#お守り2.0 ホリエモンたち所縁のお守りは…ちょっと(汗)