都内最古のお稲荷様は寄席発祥の地

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目次

下谷神社

御由緒

下谷神社は奈良時代に創建され、都内で最も古い「お稲荷様」です。
御祭神となる大年神は素戔雄尊の御子で本居宣長も「とし」を穀物と捉えるなど五穀豊穣、そして産業・商売・家内安全の守護神として篤く信仰を集めています。また、最寄りとなる銀座線の「稲荷町」駅も、この下谷神社のお稲荷様が由来となっています。
ところで「お稲荷様」と言えば宇迦之御魂神を思い浮かべる方が多いのでは無いでしょうか?この二柱の神様、どちらも素戔雄尊のお子様で兄妹関係となっています。大歳神様を稲荷として祀られている神社は少ないようですが、共に農業から発して産業や商売などご利益に重なるところも多いので、おおらかだった時代には、何れにしても「お稲荷様」として問題なかったのでしょうね。

さて神社は、第45代の聖武天皇の御代、天平2(730)年、峡田稲置(稲置は官職名と思われます)らが、大年神、そして日本武尊の御神徳を崇め奉てるため上野忍ケ丘にお祀りしたのが草創と伝えられています。このため、日本武尊も配祀祭神としてまつられています。
このように、単に豊作など豊かさのご神徳だけではなく日本武尊の武勇もご神徳に加えられているからでしょうか、第61代 朱雀天皇の御代、天慶3(940)年、田原藤田秀郷が平将門公の乱を鎮めるために相馬へと向かう途中、下谷神社へ参籠し追討の祈願をを行い、その甲斐もあってか乱を平定すると報恩として社殿を新たに造営したのだそうです。
時代が下り、寛永4(1627)年、江戸幕府により寛永寺が建立されると、上野山下に遷座されることになります。しかし、その境内が狭く延宝8(1680)年、広徳寺門前町に代替地が用意され、そこに社殿を造営しました。そして下谷神社が古くから「正一位下谷稲荷社」と称されていたため、周辺を「稲荷町」と改称したようです。
明治5(1872)年、それまでの社号から「下谷神社」へと改号し、更に次の明治6(1873)年、郷社へと列格しています。
こうして落ち着くかと思われた中、大正12(1923)年、関東大震災が下谷神社をも襲います。周辺と同様、神社も全焼してしまい、致し方なく仮社殿に遷座することになります。しかし、昭和3(1928)年、土地区画整理が行われ、境内地が現在の場所へと定まります。そして昭和9(1934)年、3年を掛けた社殿造営が完了し、仮社殿から本線座することとなりました。
こうなると、その後の戦争で更に焼け落ちるのが通例のような東京の神社仏閣事情ですが、幸いというか奇跡というか、御祭神の偉大な御神徳もあって、御神体御宝物だけではなく、社殿全建物は無事に乗り越えたと言うことです。
拝殿には日本画家の横山大観が描いた龍画がありますが、もし戦災で焼けてしまっていたら…と思うと、この奇跡に感謝です。因みに龍画は一般の参拝客でも社務所にお断りをすれば拝観可能です。
また神門付近には「寄席発祥の地」という石碑がありますが、これは下谷神社で寛政10(1798)年、初めて寄席が行われたということに由来しています。

私見ですが

龍が好きな私は何年も下谷神社、横山大観の龍画を拝見したくて仕方がありませんでした。そのため、観る代わりにと龍画をあしらったお守りを頂いたりもしていたのです。
しかし、ある日「龍画は昇殿参拝しないと無理ですよね」と神職さんに伺ったところ「社務所にいってくれれば大丈夫ですよ」と意外なほど気楽な返事。早速、社務所に向かい、注意書きをよく読んで昇殿。もちろん、本殿等の撮影は不可ですが、龍画は撮影までOKとの事で欣喜雀躍…したいところを、御神前ですから静かに厳かに拝見することができました。
同様に拝殿の龍画が有名な廣尾稲荷神社も放火から逃れています。龍画はもしかしたら火伏せのご利益をもって神社を守っているのかもしれませんね。

お気に入り度
 ★★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★★

神社概要

【主祭神】大年神

【社殿】

【鎮座地】 東京都台東区東上野3-29-8

【アクセス】 京成線 上野駅から徒歩5分

       JR 上野駅から徒歩8分
       東京メトロ銀座線 稲荷町駅から徒歩2分

【創建】 天平2年(730)

【社格】旧郷社

【境内社】隆栄稲荷神社

【例祭】5月11日前後の土曜-日曜日

【氏子】台東区東上野、上野5-6丁目、7丁目2-12、台東1丁目7-12・27-31、2丁目7-10・18-32、3-4丁目、
    千代田区神田須田町2丁目

【ご朱印】 あり

※ 特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】オリジナル

【SNS】 なし

神社お得意のご利益

商売繁盛、家内安全、産業守護、芸能

ひと足伸ばして

1798年、初代 三笑亭可楽が境内で初めて寄席を開いたことから「寄席発祥の地」の石碑があります。

お参りのあと、鈴本演芸場で落語でも聴いて帰りましょうか?

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