袖摺稲荷神社

伊豆から遷座してきた開運神社

御由緒

 源頼朝が伊豆に蟄居、流刑となっていた当時と言いますから永暦元年(1160年)から治承4(1180)年の間、軍事物資とも言える米穀が乏しくならないよう稲荷の神体を彫刻して、豆州の北条に一社を建立したのが袖摺稲荷神社の始まりだと言われています。
 時代が下り、伊勢新九郎、つまり後北条の祖である北條早雲が小田原城に移ると、御神体を城内へ遷座しています。すると、様々な奇瑞が顕れたそうなのです。この事から、この神社は「開運稲荷」と呼ばれるようになり崇敬を集めるようになります。
 しかし、小田原城は豊臣秀吉に攻撃され落城してしまうのです。すると稲荷を篤く信奉していた小西半右衛門という人の夢に稲荷神があらわれて「我を供奉して隅田の辺に下るべし」と言う告げます。このお告げに従って、小西は天正18(1590)年、小西は神体、そして鈴をもって墨田へと向かい仮殿を設けます。すると、仮殿の建設中に土の中から仏像が出てきます。これを洗い清め見ると十一面観音だったのです。これは稲荷神の本地仏だと喜ばれ社殿へと移されたのです。
 小田原城で奇瑞を表してきた稲荷神ですが、墨田へ遷ってもやはり奇瑞をしめした事から、四代将軍 家綱公から町屋御免を賜り当地へ遷座したそうです。
 五穀豊穣、そして願望成就め一切の災と言うご利益から、多くの参拝客、いや群衆となった参拝客を集め群集をなして神籬(ひもろぎ)となる常盤木や榊に袖をすりながら通る様子から「神寿里(かみすり)稲荷」と号されるようになり、後に「袖摺稲荷」へと変化したそうです。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★

神社概要

【主祭神】素盞嗚尊倉稲魂命

【社殿】

【鎮座地】 東京都台東区浅草5-48-9

【アクセス】 東京メトロ銀座線、都営地下鉄浅草線、つくばエクスプレス、東武浅草線 浅草駅から徒歩約14分

【創建】 不詳(平安時代末期)

【社格】

【境内社】

【例祭】 

【氏子】 

【ご朱印】

※ 特記なし

【ご朱印帳】

【HP】

【SNS】 

地図

神社お得意のご利益

五穀豊穣、良縁、学問上達、疫病退散

参拝記

 吉原との位置関係から、その歴史と関係した社号「袖摺」だと思い込んでの参拝でした。が、御由緒でも書いたとおり、意外や意外、源頼朝ゆかりの神社でした。
 社殿は2階建ての2階になっていますが、とてもこじんまりとした境内と社殿です。それだけに見落としがちな雰囲気ですが、階段を上がってお参りするととても気持ちの良い神社です。