上野寛永寺 清水観音堂

秘仏ご本尊・千手観世音菩薩

御由緒

 上野公園に散在する寛永寺のお堂の中でも、少し奥まったところにある清水観音堂。東叡山寛永寺は、名前が示すとおり東の比叡山を模した形で開山である天海僧正によって建立されました。しかし、この清水観音堂は延暦寺ではなく、京都の清水寺を模した形とされています。
 ご本尊は千手観世音菩薩。これは、清水寺の義乗院春海上人が清水寺から天海大僧正に奉納されたもので、これにより清水寺と同じ舞台作りのお堂としたそうです。当初は、現在の上野公園にある擂鉢山に建立されたのですが、元禄時代の初期に現在は噴水広場となった場所に寛永寺総本堂である「根本中堂」の位置が決まると、それに伴う形で元禄7(1694)年9月に現在地へと移築されたそうです。因みに上野に遺された様々な建物の中で、記録が明確に残るものとしては最も古い建築物です。
 ご本尊は秘仏とされ、年に1度、年に1日、2月の「初午(はつうま)法楽」の日に御開帳されるもので、それ以外の日は厨子に収められ御前立ちを拝む形になります。
 公式サイトでは、こんな逸話が紹介されています。

秘仏ご本尊は『平家物語』に述べられる、主馬判官(しゅめのほうがん)平盛久(たいらのもりひさ)の伝説があります。盛久は千手観音を清水寺に奉納し、千日参詣の祈願を続けていました。しかし源平の合戦で敗れた盛久は、鎌倉由比ヶ浜で斬首されそうになります。その際に刀が折れて盛久の命が助かり、また北条政子の夢に清水寺の高僧が現れて盛久の赦免を願ったので、驚いた源頼朝は直ちに盛久を許したのです。京都に戻った盛久が清水寺に参詣すると、盛久が斬首されそうになった際に観音像が倒れたという話を聞きます。こうして観音像に護られたことに気づいた盛久は感涙にむせんだ、という物語です。

秘仏ご本尊の縁起

このような霊験があること、また平安時代に天台宗の高僧であった恵心僧都が作ったと伝えられることから秘仏とされたのかもしれませんね。

寺院概要

【宗派、御本尊】天台宗/千手観世音菩薩

【山号】東叡山

【所在地】 東京都台東区上野公園1-29

【アクセス】 JR 上野駅から徒歩8分
       JR 鶯谷駅から徒歩8分
       東京メトロ 上野駅から徒歩12分

【建立】寛永8年(1631)

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

寺院お得意の御利益

子授け・安産・子育て

ひと足伸ばして

ギャラリー