上野寛永寺 開山堂

(両大師)

御由緒

寛永20年10月2日(1643年11月13日)、徳川幕府、そして江戸の街の発展の基礎を築いた天海大僧正、慈眼大師が亡くなります。そこで翌年の正保元(1644)年、慈眼大師天海大僧正を祀るため「開山堂」が建立されました。当初は慈眼大師のみをお祀りしていましたが、後年、寛永寺の本坊内にあった慈恵堂から慈恵大師像を移して、慈恵・慈眼の両大師をお祀りしています。この事で一般に「両大師」と呼ばれるようになりました。
 慈恵大師は「角大師」として、そのお姿を象ったと言われる、ちょっと悪魔チックな御札を目にしたことがあるかと思いますが、度重なる火災や規律の乱れが激しかった比叡山を伽藍の復興、そして教学の信仰に力をつくした事から「比叡山中興の祖」と呼ばれています。
 同じ高僧とは言え、この二人の大師が並んで祀られているのは、以下のような縁からのようです。

伝説によると、德川家康公の墓所を静岡県の久能山に造営した天海大僧正の夢に良源大僧正が現れ、戸隠山の神前にあるくじを引くことで吉凶を占うことができる、と告げたそうです。ここから天海大僧正が慈恵大師信仰を広めるようになったと言われています。

特に、德川家光公の世継出生祈願を命じられた天海大僧正は、慈恵大師のお姿を安置してご祈祷を行いました。そこで誕生したのが、後に四代将軍となる家綱公だったのです。こうして慈恵大師の霊力は、天海大僧正のご祈祷を通じることで将軍以下誰もが知ることになってゆきました。

両大師のつながり

 こうして祀られた二人の大師の絵は、1ヶ月ごとに寛永寺に沢山あった子院をめぐる行事が幕末まで行われていたそうです。

 境内は開山堂の名にふさわしい他のお堂よりも更に落ち着いた佇まいで、上野公園の賑やかさから解き放たれたような心持ちになれる聖域です。そして黒門とも呼ばれる寛永寺旧本坊表門は国の重要文化財に指定されています。

お気に入り度
 ★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★★★

寺院概要

【宗派、御本尊】天台宗/阿弥陀如来

【山号】東叡山

【所在地】 東京都台東区上野公園14-5

【アクセス】 JR 上野駅から徒歩8分
       JR 鶯谷駅から徒歩8分
       東京メトロ 上野駅から徒歩12分

【創建】 正保元年(1644年)

【ご朱印】 あり

※  特記なし

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

寺院お得意の御利益

ひと足伸ばして

ギャラリー