矢先稲荷神社

御由緒

 三代将軍家光が39歳、武術興隆を目的に京都の三十三間堂を浅草に建立したのが神社の始まりです。その三十三間堂の廊下を使い行われた通し矢が、「矢先」の由来になっています。
 「通し矢」、私には馴染みの無いものですが、堂射や堂前などとも呼ばれ、もともと京都 三十三間堂の本堂西側の軒下、約121mを南から北に矢を射通す競技だそうです。この神社、江戸に作られた三十三間堂での通し矢の的先にあったことから矢先と呼ばれています。
 そして矢先稲荷神社自体が三十三間堂の守護を目的に建立されています。
 しかし、元禄11年(1698)の勅額火事により三十三間堂は焼失してしまいます。そして、元禄14年(1701)、門前仲町の富岡八幡宮の東側に再建されたのですが、明治5年(1872)、江戸三十三間堂は廃され、堂宇は破却されてしまいます。
 元の三十三間堂は、この矢先稲荷が名残になっていますが、門前仲町では堂が置かれていた付近にある小学校などの「数矢」と言う地名が名残のようですね。

 神社拝殿には、ほぼ自由に昇殿することが出来ます。その天井には100枚もの絵が飾られています。これは海老根駿堂による日本の乗馬史を描いたもので、見ているだけで首が凝ってきてしまう枚数です。
 更に本殿には天海僧正寄進による弘法大師作の御神体が祀られているとのことです。
 写真の撮影は天井がや拝殿内の調度品まで、本殿側へレンズを向けるのはご法度です!

神社概要

【主祭神】倉稲魂命

【社殿】

【鎮座地】 東京都台東区松が谷2-14-1

【アクセス】 東京メトロ 銀座線から田原町駅から徒歩7分
       東京メトロ 稲荷町駅から徒歩7分

【創建】 寛永19年(1642年)

【社格】旧郷社

【境内社】

【例祭】 6月15日

【氏子】 

【ご朱印】 あり

※ 七福神(寿老人)の御朱印も拝受可

【ご朱印帳】 あり

【HP】オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

商売繁盛、勝運、出世

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 天井の存在を知っての参拝でした。
境内に入って、すぐに拝殿前に進んで参拝。そこに「階段したで靴を脱いで」と書かれていて、どうやら昇殿可能な様子です。拝殿の右脇にある御朱印所で伺うと、写真も可能だが奥に向けて撮影は駄目との事(当たり前ですが、重要なので書いておきますね)。
 但し、これも張り紙がありますが靴下等を履かずに昇殿するのも駄目です。
 実際に拝殿に上がると、天井画の他、馬の置物が其処此処に置かれています。中には「中曽根康弘」など有名政治家の奉納物まであって、そもそもが武術隆興のために置かれた由緒につながっていきますね。