目次
杵築大社
登頂できる大きな富士塚
御由緒
江戸時代の慶安年間(1648 – 1651年)、松江藩初代藩主松平直政が将軍家から貰った土地に御用屋敷と鷹狩場を造り、そこに出雲の杵築大社(出雲大社)と稲荷神社を勧請したのが創建とされる杵築大社。
歴史は古くありませんが、創建に携わった松平直政は大阪夏の陣での真田丸攻めで活躍し、敵の大将 真田信繁から軍扇を投げ渡されたほどの勇猛果敢な武者だったようです。父は徳川家康の次男 結城秀康、従兄弟は三代将軍 家光という良血に見えますが、その一方、生母は遊女とも言われるほど低い身分からの出身だった為、決して楽な生い立ちではなかったようで、その事が大坂の陣での活躍にも繋がったと言われています。また徳川幕府成立後も越前や松江などで善政をおこなったようです。
後に境内地の松江藩御用屋敷は幕府直轄地となりますが、神社はそのまま残されます。
初期には稲荷、大国主の祭神2柱でしたが、昭和21(1946)年11月に出雲の美保神社から事代主大神を勧請して「恵比寿様・大黒様」の二福神を祀る神社となっています。また、境内には巨大な富士塚があるのですが、ただ大きいだけではなく、登頂が可能です。角度が厳しいので足元には充分に注意して欲しいのですが、この富士塚は明治14(1881)年5月、境本村をはじめとした近隣22町村の丸嘉講という富士講が協力して作ったものです。最近は危険性や保存状態などから登攀禁止の富士塚が多い中で、非常に貴重な存在にもなっています。
お気に入り度
★★★★
雰囲気
★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★★
神社概要
【社殿】
【鎮座地】 東京都武蔵野市境南町2-10-11
【アクセス】JR中央線,JR総武線,三鷹駅
【創建】 慶安年間(1648年〜1651年)
【社格】村社
【境内社】富士浅間神社、稲荷神社、八坂神社、弁天宮、金刀比羅宮、、松平稲荷社
【例祭】 10月第1週の日曜日
【氏子】
【ご朱印】 あり
※ 特記なき
【ご朱印帳】
【HP】
【SNS】 なし