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長房 日光神社

御由緒

 多摩御陵からほど近い日光神社。御祭神は徳川家康公です。
この神社も創建は不詳ともされますが、どうやら鈴木正三(すずきまさみつ)という人物が建立したものと考えられます。
 この人物、徳川家の旗本、と言っても太平の世の旗本ではなく、戦国武将として徳川家康に仕えた人物です。初陣は関ヶ原の戦いで、本多正信隊に参加し徳川秀忠を護衛しました。そして大阪夏の陣・冬の陣でも武功を挙げ、家康から御朱印の御軍令一軸、御家紋の錺太刀一振りを拝領し、200石の旗本になっています。
 しかし、1620年、42歳で遁世し出家してしまいました。当時、旗本の出家は禁じられていたものの、秀忠の温情から罰せられることもなく、家名も養子の重長を迎え存続が許されるという格別の計らいを受けています。
 出家した後、三河に戻った正三は曹洞宗の僧侶として石平山恩真寺を創建して執筆活動と布教を行い、島原の乱の後には、天草代官に就任していた弟の重成の要請から天草で布教活動を行っています。更には、『破切支丹』を執筆して切支丹の教義を理論的に批判しするなど、一介の僧侶ではなく仏教思想家としても活躍をしたそうです。
 そんな正三が八王子で?という流れになりますが、晩年には江戸の四谷の重俊院や牛込の了心院に拠点を移しているところから、江戸、武蔵野との縁があった事は確かなようです。家康から拝領した御軍令・錺太刀を御神体に、御祭神には家康公として建立した神社が日光神社だと言われています。
 僧侶であり、優れた仏教思想家であった鈴木正三が晩年に神社を建立しているところが、神仏習合の時代を映している気がします。

神社概要

【御祭神】 徳川家康公

【社殿】

【鎮座地】

【アクセス】 JR 中央線、京王線 高尾駅から徒歩17分

【創建】

【社格】

【境内社】山王権現社、茂沢神社、天神社

【例祭】 4月29日

【氏子】

【ご朱印】

※ 特記なし

【ご朱印帳】

【HP】 なし

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

ひと足伸ばして

ギャラリー

参拝記

 武蔵野陵を辞去し、比較的近い日光神社へ向かうのは所定のコースでした。Google Mapに描かれた道順は、頭の中で普段の平坦な道のりでしたし、途中までは想像の通りだったのですが、神社に近づくに連れ、武蔵野の坂道へと変貌していきます。それでも比較的短い坂道と階段を登って境内に入ると、雑木林に囲まれたのどかな景色に、ちょっとホッとします。
 簡単に想像できることですが、大政奉還後、東京で生まれ育った2代の天皇の陵墓の隣に、それ以前の太平の時代を築いた徳川家康公が祀られていることはあるまい…という淡い、というか浅はかな想像は、簡単に崩れ去りました。
 むしろ、今では陵墓正門を見守るような配置になっているのかも。とも…。