目次
小室浅間神社
富士吉田市一円の総鎮守
御由緒
社伝によると延暦12(793)年、征夷大将軍 坂上田村麻呂が東征の途中、この地から冨士の山容を遥拝し戦捷祈願をします。そして4年をかけて大勝すると、御礼として小室浅間神社を創祀します。
さて、現在は剣丸尾溶岩を背負う形で鎮座する神社ですが、昔は現在の下吉田東町の現在では境外末社になっている東町金毘羅神社が境内地でした。しかし、富士山からの雪代被害が酷かった為、集落と共に現在地に遷座したと言われています。
境内には大塔宮護良親王桂之古跡、として樹齢600年と言われる桂の大木があります。この大塔宮護良親王とは?というところで、少し書き込みをしたいと思います。
大塔宮護良親王は、後醍醐天皇の第一皇子、あるいは第三皇子と言われる親王で、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕活動である元弘の乱では楠木正成と共に活躍をし、足利尊氏も加え、ついに鎌倉幕府を打倒します。建武の新政が始まると征夷大将軍に任じられ後醍醐天皇を助けます。しかし、これは野心家の足利尊氏には面白くありません。また武家を大切にした後醍醐天皇との摩擦も大きくなり、結果として失脚の憂き目に遭います。
失脚した大塔宮護良親王は、鎌倉に流罪となり、鎌倉東光寺の土牢に幽閉され、そして28歳で暗殺されてしまいます。
ここまで、全く山梨は関係していません。ところが、死後になって山梨との関係が深くなっているのです。
暗殺された親王の首は京都に運ばれて首実検されなければなりません。しかし、鎌倉から密かに持ち出され、横浜戸塚の王子神社の地下に葬ったとも、あるいは山梨県都留市の石船神社では護良親王の首級が祀られているとも、更にはこの小室浅間神社の桂の根本に親王の首が埋葬されたとも伝えられているのです。
この事から、国家鎮護の大社として武士に崇敬され甲斐武田家の祈願所となっていました。
なお、この桂の大木の葉がハート型なので、落ち葉には縁結びのパワーがあると言われています。
また庶民の間でも「下宮さん」として親しまれていますが、これは富士北麓である、富士吉田や富士五湖地方の中にはとても多くの「浅間神社」がありますが、この小室浅間神社が富士山から下手に位置していることからの親しみを込めた愛称となっています。
歴史を感じさせる社殿は、本殿が唐破風造、拝殿が割拝殿造となっており、天正年間に建造され、幾度も大修理が行われ現在も見ることができています。
私自身がこの目で見られなかったのですが、幾つか独特なお祭りがあるのも下宮さんの特徴です。まず、御神体の御更衣祭が60年ごとに行われます。これは御神体が召している着物の衣替えで前回は平成21年に行われています。古いお着物は、御朱印袋などにされ頒布されています(これはタイミングよく入手できました)。
また、神事の流鏑馬も独特で、9月の間、約3週間をかけ、厳格な潔斎・しきたりに則った神事になっています。一般の流鏑馬は馬から射った矢を的に当てることがクライマックスですが、こちらは馬が走った後を見ることに重点が置かれます。これを「馬蹄占」と言い、世襲の占人によって読まれた結果は直ちに各町に伝えられるそうです。
比較的広い境内には、先程の大塔宮護良親王の桂以外にも幾つものパワースポットが潜んでいますから、のんびりと時間を過ごしてみたくなる神社です。
お気に入り度
★★★★
雰囲気
★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
★★★
神社概要
【御祭神】 木花咲耶姫命
【社殿】唐破風造
【鎮座地】 山梨県富士吉田市下吉田5221
【アクセス】富士急行線下吉田駅から徒歩3分
中央道河口湖ICから約15分
【創建】 大同2年(807)
【社格】 旧郷社、別表神社
【境内社】
【例祭】 9月19日(流鏑馬祭り例祭)、11月20日(室宮恵比寿例祭)
【氏子】
【ご朱印】 あり
※ 特記なし
【ご朱印帳】 あり
【HP】 オリジナル
【SNS】 なし
地図
神社お得意の御利益
・五穀豊穣
・人生の縁結び(人、職、仕事、恋愛等)
・占い事
・お神籤みくじ
・容姿端麗
・安産
・子供の守護
・鎮火防災
・勝負
・金運隆昌など