武田八幡宮

甲斐源氏のふるさと

御由緒

 弘仁13(822)年、嵯峨天皇が勅命を発し、武田王の祠廟を遷座すると同時に宇佐神宮を勧請、合祀したものと言われる非常に古い神社です。
 この言い伝えが正しければ、京都石清水八幡宮(859年)や鶴岡八幡宮(1063年)よりも古い歴史を刻んでいることになります。それほど武田王の祠が有ったこと、そして武田王が大切な存在だったと言うことになるかと思います。
 では武田王とは?といえば、父は日本武尊命で仲哀天皇の皇弟となる高貴な人物です。父の東征に同行したのか否かは判りませんが、この土地に没し、その遺体が王仁塚と呼ばれる古墳に埋葬されていると言われています。現在、この塚の上には樹齢300年以上の「わに塚の桜」があり、花見シーズンには全国から多くの人が訪れます。
 さて、武田八幡宮が建立されて以後、甲斐守 源頼信を含め土地の有力者の尊崇を集め義光の曽孫竜光丸が武田郷に領地を与えられると、武田八幡宮を氏神とし社前で元服の式を挙げ、武田太郎信義と名のりを上げます。これが甲斐武田家の始まりです。というわけで、武田八幡宮に武田信玄が祀られているというのは、ありがちな誤解です。
 武田信虎の時代には崇拝が更に篤くなり、勝ち戦を続けられる事自体が神の加護の賜だとして八幡宮の全面的な大工事に着手しました。工事の間に信虎が追われ、晴信が家督を次ぐと、その半年後、天文10年12月23日に実に10年の歳月を掛けた大工事が完了します。
 この大工事の成果は今も多くが遺されており、昭和4年4月6日に国の重要文化財に指定された本殿をはじめ拝殿、神饌殿、神楽殿、神楽装東舎、隨神門、社務所、石鳥居及正面石垣、両部型木の大鳥居及輿石、為朝神社社殿、若宮八幡宮社殿、手水舎等、境内が文化財の宝庫のような神社です。

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★

神社概要

【御祭神】 誉田別命足仲津彦命息長帯比売命、武田武大神

【社殿】 流造

【鎮座地】 山梨県韮崎市神山町北宮地1185

【アクセス】 JR韮崎駅からバス

中央道 韮崎ICから約1時間

【創建】 弘仁13年(822)

【社格】 旧県社

【境内社】 若宮八幡宮(御祭神 大鷦鷯命)

【例祭】 10月14日に近い日曜日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 社務所での書き置き、あるいは韮崎 若宮神社にて対応いただける

【ご朱印帳】 なし

【HP】 オリジナル

【SNS】 なし

地図

神社お得意のご利益

ひと足伸ばして

武田八幡宮。今では甲府に鎮座する武田神社の方が知名度や参拝客では上回っているんでしょう。が、本家というべきは、こちら八幡宮に軍配が上がります。というのも、武田八幡宮がある土地は、日本武尊命の王子である武田王が住んだ土地。そのため、この付近を元来「武田」と呼んでいたようです。それにあやかって、源信義が武田家を興したと言われています。

では、その武田王は?といえば、一本桜で名高い「わに塚の桜」の足元、王仁塚に葬られています。この桜、毎年、見事な花を咲かせますから、世田谷から毎年のように足を運んでいます。

また、近年、花見を終えてのお楽しみが「白山温泉」です。なんのことは無い小さな日帰り温泉のようですが、実はノーベル賞学者の大村智先生が建てた、こちらも由緒正しい温泉場なんです。小さいとはいえ、休憩室もあり、また整備された庭にも心安らぐ心遣いが感じられます。

歴史を地層のように眺めてみると、今では表土を覆うように武田信玄の偉業が露出していますが、近現代史がその上に重なり、また地盤のように日本武尊命の伝説が確実に息づいている。そんな感覚を覚える場所なんですよね、ここは。

ギャラリー

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