山梨縣護国神社

桜と月の隠れた名所

御由緒

 山梨縣護國神社は、明治12(1879)年12月、甲府市太田町の遊亀公園内に西南の役で戦没した50柱の御霊を祀ったことから歴史が始まります。
 昭和17(1942)年12月に現在の鎮座地である躑躅ヶ崎の南麓で、江戸時代の甲府藩主 柳澤吉保の菩提寺だった永慶寺跡で地鎮祭を行い、昭和19(1944)年11月に内務大臣の指定を受け山梨縣護國神社の創建が為されました。この永慶寺は吉保の子 吉里が月の名勝(甲斐八景・龍華秋月)と定めた場所でした。
 昭和21(1946)年10月には社号を山梨宮へと変更していますが、昭和27(1952)年11月、山梨縣護國神社へと戻しています。
 御祭神は
 ・西南の役(明治10年):50柱
 ・日清戦争(明治27年~28年):568柱
 ・日露戦争(明治37年~38年):449柱
 ・台湾討伐(大正3年):55柱
 ・満州事変、上海事変(昭和6年~9年):73柱
 ・支那事変、満州事変(昭和12年~16年):1784柱
 ・大東亜戦争(昭和16年〜):22,068柱
  合計25,047柱が祀られています。
 また、山梨宮へと改称した昭和21年、合祀した「一世の亀鑑、師表」と仰がれた民間人8柱がいらっしゃいましたが、昭和27年境内に摂社 山梨宮を創建して祀ることとなりました。なお、こちらの御祭神は
 ・加賀美光章命(学者)
 ・志村天目命(心学者)
 ・関戸左近命(郡内の義民)
 ・金子重右ヱ門命(太桝事件主唱者)
 ・三沢重右ヱ門命(太桝事件主唱者)
 ・長田圓右ヱ門命(御嶽新道開削者)
 ・徳島兵右ヱ門命(徳島堰開削者)
 ・くり女命(節婦)
 となっています。
 また平成11年から山梨県出身の殉職自衛官11柱も合祀されています。

 なお、皇室からの御崇敬も篤く、終戦10年、20年、30年の3回、天皇陛下から幣帛料の御下賜があり、また昭和47(1972)年10月、常陸宮、同妃両殿下の御親拝が、また元皇族 賀陽宮も戦後三回参拝されています。
 春には山梨大学から武田神社への坂道が桜の名所として有名ですが、こちらの護国神社にも300本の桜が植えられており、のんびりと散策するにも良い神社です。

お気に入り度
 ★★★★★
雰囲気
 ★★★★
アクセス(駅近、駐車場など)
 ★★

神社概要

【御祭神】 護国の英霊

【社殿】 一間社入母屋造

【鎮座地】 山梨県甲府市岩窪町608

【アクセス】中央道 甲府昭和ICから約20分

JR甲府駅からバス

【創建】 明治12年(1879)

【社格】

【境内社】

【例祭】 4月5日、10月5日

【氏子】

【ご朱印】 あり

※ 限定御朱印あり

【ご朱印帳】 あり

【HP】 オリジナル

【SNS】 Facebook

地図

神社お得意のご利益

ひと足伸ばして

武田神社と並ぶ標高にある神社から臨む富士山は、一見の価値あり。晴れた早朝に訪れると「早起きは三文の徳」の言葉通りに感じられます。

また、境内や駐車場にある数多くの桜の木が春には花見の名所として多くの人を集めてもいます。

当然、ひと足伸ばせば武田神社。戦国・戦中に活躍した甲州・山梨の英雄に合わせて会いに行ってみて!

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